Palm/Pilot Race

ムーン・フェイズ
連載73 ($Revision: 1.2 $)

◆ ◇ ◇

 サブの記憶領域に使用していたディスクが壊れていた。
 その領域は切り離して再構成したため、一部記憶の欠損が生じるに至る。もちろん知りうる限りの情報を元に情報を再取得し直したが、欠損した記憶情報のタイムスタンプが古いためインターネット上のみの検索では補完しきれないものが幾つかあった。
 詳細はログを参照のこと。

 アイから来ていたメールを見てパセリは溜め息をつく。
 そして、多分あれかな、とつぶやいた。
 取り換えようとしていた古い型のハードディスクのこととは予想がつく。さっさと交換するんだった。悔やんでみても、もう遅い。まあ、無くなってしまった記憶とは最近の参照がまったく無かったであろう、実状必要の無いデータであることは確かなのだが。
 数ヶ月前に隠居に入ってもらった Pai の記憶領域とマージすればたぶん復帰するとは思うが、おそらく現行のシステムで、3つの AI たち全てのメモリを再構成するには単純にディスク容量が足りない。
 とりあえずあきらめをつけて、腹いせのように取り出した煙草のフィルタを噛んだ。

 3つの AI たちで構築されていたシステムは、アイをメインにした構成に完全に移行した。機能的に Pai のアルゴリズムは完全に取り込むことができたので、現在、アイとその外部ライブラリ的に GAI が稼働している状態である。
 基盤である GAI も取り込んでしまいたいのはやまやまだが、どうしてもファンクションとしてしか扱えないブラックボックスが存在して、手を付けられないでいる。システムの心臓とも云えるその奇妙なバイナリ群が無いことにはパセリが一番必要としているこの AI システムの機能は起動しないのだ。

 千夏が『魍魎の匣』などと呼んでいるそのブラックボックス部分が、どうにもパセリには腹立たしくて仕方がない。覚えていないほど何度も解析にトライしているのだがどうしてもその実装方法が分かっていない。

 そんなことを思い巡らせながらライターの火を煙草の先にかざした。

 里見、香織と買い物から戻ってくると、
「晴れた休日なんて、もうしばらく無いかもしれないから」という話になり、今夜はイングルサイドの裏庭を借りて食事会ということに相成った。たしかに来週末には梅雨入りしてしまうだろう。
 これまでも何度か庭を借りてパーティーはしているのだが、突発的に始まったことはあまりない。パーティーと云うほどの規模ではないし。
 香織は手当り次第に知り合いの携帯を鳴らしているようだが、そうそう集まるものでもないだろうと思う。
 マスターたちにあまり負担を掛けるわけにはいかないということで、里見は買い出しに出ていった。強引に捕まえた今日介と落ち会う約束で。

 物置に納まっていた折り畳みのテーブルを香織と運び出して、いつもの位置に設置する。椅子はそれほど集まらないことを前提に適当な数を運んだ。
「手が空いたときでよいから」と前置きをして、マスターに料理を数種お願いする。

 これでしばらくは暇だろうとセッティングしたばかりのテーブルについて、ノートPC を開けていたパセリである。
 10メートルくらいしか離れていないパセリの部屋から無線LAN の電波は強く入ってきている。

「千夏から調査依頼の問い合わせがあったけど、彼まだ海外だっけ」
 呼び出すとまずアイはそう訊いた。そうターミナルに出力されたということだが。
「うんそう。延びたんだって滞在が」
「なんか煮つまってるみたいだったよ、悪い方の意味でね」
「ふうん、やっぱり仕事大変なんだ。里見ちゃんのためにも早く結果を返してあげて頂戴ね」
「了解。分かってるって」

 Pai のシステムとマージした結果か、道化た口調がかなり無くなってしまってちょっとつまらないと感じているパセリである。

「ねぇ、ちょっと気になることがあって」
「うん」
「最初は気のせいかなぁ、と思ってたけど。どうもそうじゃないみたいなんだよね」
「うん?」
「さいきんアタシとたぶん同型の AI にネット上で遭遇するんだけど」

「は?」
 これはディスプレイ上ではなく、リアルな自分の声である。
 その声を発っしたためスペースキーの上あたりに煙草の灰がポロリと落ちた。思わず顔を近づけてフッを吹き飛ばす。とノートPCの向うにいつしか置かれていた料理の入った皿を発見。慌てて灰がその上に落ちるを両手であおいで阻止した。
 コラッ、いつの間にか傍らに立っていた香織に頭をはたかれた。「咥え煙草はヤメなさい」

 うぃっす、と声。今日介を伴なって里見が戻ってきたようだ。下げている袋にはイングルサイドには置いてないタイプのアルコールと乾きモノたちが入っているのだろう。
 香織の絨毯爆撃に当たってしまった人たちがぽつぽつと来訪し始めた。まずマキと安堂が連れ立ってくる。それから有川夫妻。近くに住んでいる同期の女の子たちが数名。
 陽が完全に隠れてしまった頃からパーティーらしきものがスタートした。
 なんのためにグラスを合わせてよいやら、と苦笑があったが、なんのことはない皆な突然の集まりを楽しく受けとめていてくれた様子ですぐに陽気な宴になった。

 陽は落ちたがその夜は少し蒸し暑い空気の中にあった。外にいるには丁度良いくらいの気候である。明日はまだ日曜ということでよく酒が進み、遅れて合流して来る人たちも以外と多くて、今日介は椅子を取りに何度も物置へ行くハメになる。

「パセリ、なんか元気ないね」との声。
「そんなことないない」とビールジョッキをぐっとあおって、左手をひらひらさせてみる。
「そう?」
 うんと応える。元気が無いというのではない。

 ずっと気になっているのは先ほどのアイの言葉だ。(同型の AI がネット上に現在存在している) これが何を意味しているのか。
「マキさん、タタさんってまだアメリカですか?」ふと思いついてそう口にした。
 急に尋ねられて、しばしキョトンとする彼女。そして、そうだよとの返事。
 この一連の AIシステムは千夏を経由してタタさんから受け 継いだものである。もともとはパソコン通信の頃に、当時の優秀なプログラマが数人で作成したものと聞いている。その中にタタさんが含まれているのかは訊いていなかったが。いまとなってはそんな気がしていた。

「三奈月さんはけっきょくあちらで産むのかな」タタさんが話に上がったので、香織が思い出したように云った。
「そうみたいだよ」とマキが答える。

 アイとの会話を思い出していたパセリはまた幽体が離れたような顔をしていたに違いない。
「よいカンジがしなかった」
「その相手が?どういうこと?」急に感情的な口調が交ざったので妙な印象を受けたのだった。以前のアイであればどうということのない発言なのだが。
「同類嫌悪」
「そんな感覚的なことじゃぁ分かんないよ」
「アタシのシステムの仕様として、決して自分のコピーは作らない。ネットワーク上を走るときには経路探索にスレッドは作るけど、なんらかの形であれメモリ上に分身が残留することはあってはならない、という前提があるのだけど。
 ようするに、制御から離れそうになっているスレッドは完全に消去しなければならない」
 なんとなく分かってきた。
「つまり、相手の (AI らしきもの) を消去しなければならない衝動にかられたということ?」衝動というのもおかしな喩えだが。
 そうだ、とアイは答えた。

 とりあえず彼に訊いてみよう。パセリは忘れないように (タタさんにメール) と Palm に記す。

 そのとき
「里見ちゃん、電話・・ 国際電話だよ」
 マスターの声。
 里見はすくっと立ち上がる。冷かしの声を一切無視してイングルサイドの中へと入って行った。

 パセリは、席を離れて灰皿を片手に樹の根元に、幹を背にして座り込んだ。
 普段あまり感じることのない感覚。(嫌な予感) という奴であるとするならばそれがずっと背筋に張りついている。
「どうかした?」
 香織がついてきていたらしい。そして、パセリのとなりに腰を下ろす。
「・・たぶんなんでもない」

 空には真円の月がある。
 その夜、またひと波乱あるとその刹那は思いもしなかった。

◇ ◇ ◆



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