有川くんの長い一日 (Pilotな日常 連載48)

有川くんの長い一日
連載48 ($Revision: 1.1 $)

◆ ◇ ◇

「なんでしょう、これ」
「血文字ですね、いわゆるダイイングメッセージでしょう」探偵は答えた。
「そうだとは思いましたけど、どういう意味なんですかね、これ」警部は彼に問いた。
 男は床にうつぶせに倒れ、フローリングの床に血溜りができている。周囲は明らかに彼が抵抗した跡が見て取れる。グラスが床で砕け、その中身がまた床を濡らしていた。
「凶器はナイフですね。体の下側に隠れていますが、覗きこめば確認できます」刑事が手帳を見ながら報告する。
 警部と探偵はその位置から、腰をかがめ、確かにそれを確認した。
「なるほど、これは、彼がのたうった跡ですかね」警部は足元を見てそう云った。
「そうですね、即死ではなかったのでしょう。メッセージを残したす気力はあったようですから」そう云うと再度、血文字に目をやった。
 けっきょく、誰も何の意味なのか分からないまま、この探偵が結論を出してくれるのを期待していた。
 皆なでその血文字の周りに集り、意見を交す。文字は、たったの2文字。
「一文字目は『く』の字でしょうか、ひらがなの」
「そう見えるね、しかし、二文字目が分からないな」
「『べき乗記号』でしょうか」
「それにしては大きくないかい、」
「きっと、これは文字ではなくって、方向を指しているんじゃないでしょうか」
「左と上か? で、それにどういう意味があるんだ?」
「さあ」
「うむ、二文字目は『A』を書きかけている風にも見えるな」
「いや、ちょっと角度が違っているだけで、『つ』にも見えませんか?」
「『くつ』?靴屋の店員てことかぁ」
 警察官が意見を出し合うが、これと云って決め手になりそうなものは無さそうだ。
「ねぇ、田中さんいかがですか」探偵に意見を求めた。
 探偵はそれをじっと見下ろしていたが。
「ダイイングメッセージは、もちろん、被害者が犯人を指すために残すものです。その時にあえて複雑なものにしようとする、というのは、それを犯人自身に湮滅されてしまうのを恐れてということになります」
 田中探偵の言葉に、刑事たちは聞き入る。
「それでいて、あまりに分かり難いということはないはずです。誰にも分からなかったら意味はありませんから。だから、二文字というのはやはり犯人のイニシャルなんではないでしょうか」
 警部が驚いて訊き返した。
「『くつ』がイニシャルですか」
「いえいえ、ですから普通のアルファベットのイニシャルなんだと思いますよ」
 もう一度、それを見直してみるが、どう見てもアルファベットには見えてこない。二文字目がなんとなく『A』なのかなぁ、という程度。
「これを見てください」探偵は少し離れたテーブルの上から、手帳のような大きさのものを取り上げた。
「それは、えっと、PDA ですよね。なんて云いましたっけ」刑事のひとりが探偵に云う。
「ええ、これで」そう呟きながら、そのスイッチを入れた。その周りを刑事たちが取り囲む。探偵はその携帯端末に、被害者の残した文字らしきものをなぞった。
 それを見た瞬間にその場にいた全員が納得したらしき嘆息を漏らす。
「どうしてなんです、彼は一番の親友だったのではありませんか」
 探偵が、どうしてか僕に向ってそう云った。
「え、ぼくはやってないですよ。どうして彼を殺さなければならないんですか」びっくりしてそう云ったけど、刑事たちがすぐに僕を取り囲んだ。
 探偵がこちらにその PDA を指し出した『K A』と表示されている。さらに刑事たちの輪が縮まってくる。
「なぜコロシたのですか、」悲しそうな顔をして、探偵が云った。
「そうだ、動機はナンなんだ」警部がまくし立てる。
「そんな・・ぼくがそんなことするわけないじゃないですか、信じてくださいよ。タタさん!!」僕は一生懸命弁明するしかない。身に覚えはまったくないのだ。
「なにを馴れ馴れしい、このヒトゴロシ」
 ひとごろし という言葉が、頭の中でエコーする。僕はあっという間に警官たちに取り押えられた。
「ちがう!! ぼくじゃない・・ そんな、明日は式なのにぃー」
(フェードアウト)

「という夢だったんだよね」
「どおりでうなされていたわけだ」美由さんは(やれやれ)という風に溜め息をつきました。
「それがやたら鮮明な夢だったの。もうクーラー入れてたのに汗だらだらかいちゃったし」有川くん思い出したのか、額をぬぐう仕草をします。
「クーラーは私が寝る前に止めた」「・・そう」
「うん、まだ夏本番前なのに入れっぱなしなんてしてられないでしょ」
 有川くんは反論しませんでしたが、あたかもそのせいで、あの様な夢を見たのだと云いたげな顔です。
 有川くんと美由さんは新居でやっと落ちついたところです。なかなか、段ボール箱が減らない有川くんでしたが、美由さんが見兼ねてさっさと片づけてしまいました。
 今日は電車で式場に向かっているとこです。
「電車でってのも締まんない話だよね」
「そのために車借りるっていうのも変なハナシでしょう?他の人ともスケジュールが違うから、送ってもらうってわけにも行かないし。もともと、それほど遠いこともないしね」
 と結婚式に向っている二人です。無論、彼らの、です。

 さて、そんな会話あった数時間あとです、大変なことが発生してしまいました。
 所は、マキさんの家。彼女は今日の結婚式には二次会からの参加でしたので、朝はのんびりと起きて、仕度をしていたのですが。もう出掛けようかとしていたときに電話が鳴りました。
「タタさん、どうしたんですか。盛り上がってますかぁ」披露宴に出席中のはずのタタさんからでした。しかし、話を聞いているうちに、だんだん気分が落ちこんできてしまいます。
『ポケベルが鳴っちゃって、電話対応はしたのですけど、どうもK社のシステムがちゃんと動いていないみたいなんです。マキさん、申し訳ないですけどちょっと確認してみてもらえませんか?』タタさんの恐縮した姿が受話機の向うに見えそうです。
 ついこの前にリリースしたプロジェクトのシステムが正常に動作していないとのクレームでした。
 出掛ける仕度はひととおり終ってしまっていました。その姿のまま端末を立ち上げます。そして、待ち合わせをしていた三奈月さんに連絡を入れました。
 そのプロジェクトに、マキさんは途中から参加していたのですが、仕様のだいたいは頭に入っています。とりあえず、会社に接続して、そこからプロジェクトのマシンへログインします。原因はすぐに分かりました。
「こんにちは」
 三奈月さんが来ました。本当は駅で待ち合わせだったのですが、時間的にどうなることやら分からなかったので、直接来てもらったのです。一人ではパニックになる、という気持ちもありましたし。
「どうなの?」
「サーバの幾つかが上がっていないだけだから、それを起こしてやればいいだけなんだけど・・」
「だけど?」「root のパスワードが分かんないんです。つい最近変えたみたいで」
 そういえばそんなやりとりをタタさんと有川くんがしていたような覚えがあります。
「変更したのなら、連絡があったのじゃないの。メールとか」三奈月さんが訊きます。
「あったんですよ、有川さんからメールが。昨日出されているのですけど」そう云ってマキさん、メールクライアントを立ち上げます。先程落としておいたメールを開きます。
「肝心のパスワードが書かれてなかったとか?」
「いえ、あります。確かにあるんですけど」ただそれは、PGP で暗号化してありました。「会社じゃなきゃバラせないんですよぉ」
 途方に暮れてしまいます。
「タタさんに訊いたら覚えてるんじゃない」
「でも、たぶん、ランダムな文字の並びだから、いくらタタさんでも、そらでは覚えていないと思う・・」マキさん弱気になってしまいます。まさか式場に PC を持ちこんでいるとも思えませんし。

 バイブレーションにしていた携帯電話が震えました。タタさんはそっと廊下へ出ると、耳にそれを当てます。予想していた通りにマキさんでした。
「そうですか、root のパスワード・・ 覚えてないですね。記号と、確か数字の3が入っていたと思うのですけど」
 受話機のあちらとこちらで溜め息です。
「高砂の彼しか分からないってことですね。しかし、たぶん、彼も覚えてはいないでしょうね。そうなると頼みの綱は、」マキさんも同じことを考えているみたいです。
 席に戻ると高原さんが心配そうに訊きます。同じテーブルの誠司さんと安堂くんも気になる様子。
「彼に云ってみるしかないみたいです」タタさん舞台の方に向かうことにします。
「今なら大丈夫でしょう。お色直し中だし」
 タタさんなるべく皆さんの視界に入らないように、こそこそと彼に近づきます。端から見れば、彼の長身が隠れるわけもなかったのですが。有川くんの脇にしゃがみこんで、ことのなりゆきを話ました。そこに座っていた鶴川さんも驚いています。
「そんなの覚えていないですよぅ」有川くん悲鳴を上げます。あくまで(ひそひそ)ですけど。
「Palm に入れてたでしょう?」
「そ、そうです、入れました。それです!」
「それで、今日は持ってきたのですか?」
 彼は胸ポケット、スラックスのポケットを触ります。あれ? という顔をしてから、
「ああ、そう! 美由に取られたんだ!」
 聞くと、式場に到着して Palm を取り出したら、美由さんにそれを取り上げられてしまったそうです。「こんなときにまで」と恐い顔をされたのでした。
 タタさんはすぐにそこを離れ、廊下に出ました。彼女のところへ向かおうとしますが、さて、お色直し中の花嫁の元へ行くのはためらいがあります。高原さんにお願いしようと、戻りかけたところへ、ちょうど、美由さんが現われました。洋装に着替えた彼女はとてもきれいだったのですが、タタさんに話を聞いた彼女は裾をちょっと持ち上げ気味にして、部屋へ取って返しました。係の人たちもあっけにとられるほどのスピードです。
 戻ってきて、タタさんに彼の WorkPad を渡すと、息を整えます。タタさんは手の中の WorkPad のスイッチを入れながら、その場を離れます。電話をかけなければなりませんから。確かにパスワードが書かれていました。マキさんに連絡します。
 有川くんは皆さんよりも少し高いところから、見おろす形になっているのですが、タタさんがなかなか戻ってこないので、気になって仕方がありません。そちらを見てばかりいたら、鶴川さんに袖を引っぱられました。どうやら、彼女の仕度ができたらしく、廊下へ出るようにということです。
 軽く返事をして立ち上がると、ちょうど、タタさんがドアを開けて入ってきました。有川くんに合図するように、笑ってから手を上げてくれました。鶴川さんにも分かったようで、二人して顔を見合わせると、安堵の溜め息をつきました。
 しかし、「花嫁が待っているぞ」という言葉に、慌ててドアへと駆け出します。

 廊下に出ると彼女がいました。急いで近づいて行きます。
 目の前まで来ます。美由さんは、ちょっと怒ったようにしてドレスのまま腕組みのポーズです、彼を見上げて云います。
「まったく、こんなときにまで、仕事の話ですか」
「ああ・・、ごめん」
 美由さんはこれまで見たことのないように、きれいでした。
「これからもずっとそうなんだろうね」
「・・そうかな」
「でも、それが和樹なんだよね」
「・・・」
 彼女の指先が、腕に絡みました。
「行こうか」有川くんが云います。美由さんは、うなずきました。
 扉が開きます。

◇ ◇ ◆

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