秘密
連載49 ($Revision: 1.0 $)
◆ ◇ ◇
絨毯の上には、ビールの缶がいくつか、空になったものは転がっています。同じく無造作に置かれている灰皿は、溢れんばかりで、フィルタがそこから生えているかのように見えます。さらにその横には、PalmV。
「おれ見ちゃったんだ」山科祐次くんが会話の切れ目をみつけて云いました。
「なにを?」須藤千夏くんが訊きます。
「タタさんの Palm に・・」
「タタさんというと、あのひょろりと背の高い人だな」そう云うのは、叶今日介くん。
それに頷いてから、祐次くんは続けます。「あの人の Palm に・・ いやホントにたまたま見ちゃったんだけど」
つい先日のことです。タタさんと同じグループにある祐次くんは、定例の打ち合わせで彼の隣になりました。タタさんは、当然のように持参している Palm を取りだします。祐次くんも、なぜが周りの皆なさんがあたり前のように所持している Palm シリーズに興味がありましたから、ついそちらに目をやったのですが。
「週末の予定が見えたんだよ。電源を入れてすぐに出て来てて」 TealGlance! *1 でも入れてたのかな、と千夏くんは思います。
「それで、なんて?」
「『14時、ミサキ』」と内容を云います。
「誰?ミサキって」グループが違う今日介くんは、どうしてその内容が問題になるのかが分かりません。
「海の岬のことかな」千夏くんはすぐに察したようですが、そう云います。
「美しいに咲くって書いてあったから、どう考えも女の人の名前だよ」
「う~む」
「だからそれが何だっていうのさ」今日介くんはいらいらして訊きます。半分も喫っていない煙草を灰皿へ押し付けました。
「つまりね、太郎さんは・・ てそのタタさんて人のことなんだけど。おんなじ部署の女性とつきあっているはずなのさ」
「千夏は何か知らないの?その美咲さんって人のこと」祐次くんは云います。
「いんや、初耳だよ。三奈月さんと見間違えたってことは無いの」それには、祐次くんふるふると首を振ります。
ようやく、呑み込めてきた今日介くん。「それじゃぁ、その『タタさん』が二股してるってこと?」
そう云われると、千夏くん、祐次くん、二人して考え込んでしまいます。
寮の祐次くんの部屋で、しばらく首をかしげていました。すでに夜中の1時を回ろうとしています。
「見間違えじゃない」もう一度千夏くんが云いました。
さて次の日、いつも通りの時間に出勤したタタさん、cradle に Palm を乗せ。PC を立ち上げます。隣にあるサーバマシンのディスプレイのスイッチも入れると、椅子に腰掛けました。そのまま、Palm の電源を入れて今日のスケジュールをチェックします。
週末の予定が目に入ります。もちろん覚えていることなのですが、つい口元がにっこりしてしまいます。そこには確かに『美咲さん』という名前がありました。
「どうしたんですか?なにか面白いソフトでも見つけました?」
突然、声をかけられて、びっくりして顔を上げると三奈月さんがコーヒーサーバ片手に机の向うに立っています。どう?というようにそれを持ち上げたので、タタさんは慌ててカップを取り出すと、差し出しました。それに注いでもらいながら、さりげなく Palm の電源を切ったのでした。
「あれ、男たちは」
「午後から出掛けていますよ」
「山科くん、客先は初めてだって緊張してましたよ」
食堂です。高原さんは珍しくラーメンです。マキさんはお肉。三奈月さんは魚料理です。
「もう年末かぁ、早いねぇ」高原さんが麺の隙間から云います。
「そうですねぇ」納得するように頷きます。「まぁ、一年が早いってことは、それなりに忙しかったってことで、良いことですよね」三奈月さんが云います。
窓の外は秋が深まっている風景が見えます。
少しして、云い出し難そうにマキさんが切り出しました。
「タタさんがアメリカに行くっていうのは決まりなんですか?」
「まだ、決めてはいないみたいだけど。前回は結局、一週間だけあちらに行っただけで、断わっている形になっているから、難しいかもね。」高原さんが答えます。そうして三奈月さんの方を見ました。
「ええ、まだ決めていないらしいです」
「どのくらいかかるのですか。期間的には」
「長ければ2年くらいってことだけど」
「場合によってはもっとかかるかもしれないって」三奈月さん、感情を押しころすようにしてそう云います。
「相談されたんですか」そう訊かれますが、肩をすくめる三奈月さんです。「私がダメだ、なんて云う権利は無いでしょう?」
その言葉に高原さんは反論がありそうです「そう?」
「はい」
打ち合わせが終って、電車の中です。空いていたので3人並んで座っています。
「どうでしたか。感想は」真ん中に座っているタタさんが云いました。
「そうですね。やっぱりノートPC 欲しいですね」議事録をひたすら手書きでメモしていた祐次くんは答えます。
「Palm にすれば。キーボードもいろいろあるよ」ここぞとばかりに有川くんが云います。キーボードが使えるんですかぁ、と返ってきます。祐次くんは Palm に相当興味を持ってしまったみたいです。タタさんを狭んであれこれと有川くんに質問します。
「千夏くんは V を持っていますよね」タタさんが思い出したように云います。
「えっ、そうなの?」有川くんは初耳のようです。
「あれはまた違うんですか?」「J-OSIIIx *2 を入れないと日本語が出ないんですよ」しばらく、Palm 談議です。
「噂ですけど、有川さんの WarkPad の壁紙には、奥さんの写真が張ってあるって聞きました」
「・・BackdropEZ *3 ですか?」タタさんの云いかたはちょっと冷たかったかもしれません。
「やってないですよ!!」慌てて否定します。それに無言で答える二人。
「いえ、あの、一回貼ってみたけど、今はしてないです。いやホントに」
「それより」有川くん、素早く話をすり替えようとします。「どうするのか決めたんですか?」タタさんへの問いです。
このとき、『タタさん二股疑惑』をふと思い出した祐次くん、これを聞いてドキッとします。しかし、まったくそんな話ではなく。彼のアメリカ行きのことでした。
「決めましたよ」
「そうですか」やっぱり、という風に有川くんが答えます。そんな彼はちょっと淋しそうに見えました。
結局、会社に戻ってきたのは祐次くんだけでした。時間がもう遅くなっていましたので、他の二人とは途中で別れました。彼も同期のメンバーとの飲み会がなければそうしているところです。
戻って、議事録のメモを元にメールを作成して参加した人たちに流します。その頃には他の皆なさんもそれぞれ帰り仕度を始めていました。
いつまでも来ない祐次くんを、千夏くんが迎えに来ます。すれ違うように三奈月さんと高原さんが帰って行きました。挨拶を交わしてから、千夏くんは祐次くんの傍らに立つと、「太郎さん、本当に『ふたまた』なのかな」本当に、三奈月さんと『美咲さん』を (両天秤) 状態なのでしょうか。
「たぶん、間違いだと思う」と祐次くんは云います。しかし、それはタタさんの為人から思うだけで、なんの確証も無いのでした。
いい加減、急かす千夏くんです。今日介くんたちもフロアに来ました。祐次くん、慌ててコートを羽織ります。
そこへ、「いま頃、誰だろう」、電話です。祐次くん、コートに片袖を通した状態で受話機を手にしました。社名を告げると。
「あ、すいません。三奈月ですけど、姉をお願いします」
「すみませんが、三奈月さん、もう帰ってしまいました」弟の仁くんからでした。もちろん祐次くんは彼の名前までは知らないのですが。受話機を置きます。
「三奈月さん宛て?」千夏くんの言葉に、「そう」と祐次くん答えます。
「あ」
「ん?」なにかに気付いたらしいです。
「三奈月美咲さん、なんだ」
「え?三奈月さん、て名前じゃないのか」千夏くんが訊きます。そして、彼の机の上にあるシートに狭んだ座席表に気付きました。そこには、机の配置と席の人の苗字が書かれていました。
それを掴むと祐次くんの目の前に差し出します。
「これ、なんて書いてある」
「なんのこと?」
「名前だよ」指さします。
「三奈月さん」「どうして彼女だけ名前だと思ったんだよ」
祐次くんは、ぽん、と手を打ちました。そして、弁解します。「だって、みなづき、っていったら、(六月生まれなんだろうな) て思うじゃない」
「まあ、そうかな」他の方たちも、とりあえずは同意します。
「でもそういえば、三奈月さんって夏生まれって聞いたような・・」
千夏くんのヒザ蹴りがみぞおちに入ります。
でも、とりあえず、『タタさん二股疑惑』は解消されたのでした。
◇ ◇ ◆
註
*1: 電源投入時などに、時間・予定・Todo などを表示してくれる Hack アプリケーション。TealPoint 作成。
*2: PalmOS3 で使用できる J-OS です。もちろん、山田達司さんが作成されました。
*3: Palm のバックグラウンドに壁紙として、16階調Gray の画像を表示できます。Twilight Edge Software。

