月の裏で会いましょう
連載44 ($Revision: 1.2 $)
◆ ◇ ◇
あたまの中は、まだ、ぼぅ としているのですが、いつもの様にパソコンのスイッチを入れると立ち上がるまでの時間の合い間に洗面台の前で顔を洗います。歯も磨いて戻ってくると、もちろんパソコンは起動済みでした。ほとんど、無意識的に インターネット接続して、PiloWeb *1 を使い、主要サイトの今日の情報を読みこみます。
Sync ボタンを押して、ダイアログが開くのを確認すると、着替えに移動しました。PalmV *2 が (デスクトップの壁紙) になっているのが暗示的です・・
PiloWeb のおかげで、最近は朝のインターネット巡回の手間がなくなりました。有川くん、電車で PalmIII を取り出すと MeDoc *3 を使って先ほど転送しておいた Web サイトの情報を読みます。時間をかけてそれに目を通すと、今度は同じく読みこんでおいた、メールを開きます。
いくつかの ML 、大学時代の先輩からのもの。そして、安堂くんから久しぶりにメールがありました。その内容を読み進むうちに、有川くんは重大な内容が含まれているのに気付きます。
「本当なの?」
思わずつぶやきました。隣に座っていた見知らぬお父さんが、変な顔をして彼を見ます。
前の日、時差を考えれば数時間前のことです。
海の向うの安堂くんは、そちらの支部の偉い方に声をかけられました「田中さんて、どんな人か知ってる?」英語だったので、ニュアンスは違うのかもしれませんが、安堂くんはタタさんの為人(ひととなり)を訊かれたのです。
タタさんとつき合うようになってまだ、それほど時間は経っていませんが、もちろん、彼に対しては良い印象を持っていましたので、それを卒直に伝えました。
ごくたまにですがメールのやりとりもしています。最近もちょっとした、楽しいやりとりをしたのでした。
「どうしてですか?」それくらいは許されるだろうと、話の終りに訊いてみました。すると・・
「さあ、おひるだよ」
いつの間にか背後に立っていた高原さん、三奈月さんの肩を揉みはじめます。それに意味はないと思うのですけど。
「すみません、私、今電話を待っているので先に行っていてください」
「そお。じゃあ行ってるね。タタさんはどうしたんだろ」
ふたりで彼の机を見ますが、そこに彼はいません。タタさんだったら、新人研修の打ち合わせって云ってましたよ。マキさんからそう云われました。高原さん、マキさん、有川くんの3人だけで食堂へと向います。
残された三奈月さんは、電話機を睨みつけます。それに臆することもなく、電話は鳴りません。しかたなく、また、キーボードを打ち始めました。
「高原さん、タタさんがアメリカに行く、て話聞いてます?」
「うん、なんとなくはね」
「ええ?そうなんですかぁ」マキさんは初耳の様です。
珍しく気が合って、今日は揃ってスペシャルランチです。それを口にしてから、味付けについてそれぞれで文句を云い合うと、少し話しの間が空きました。そこで有川くんが思い出したように云ったのです。
「安堂のメールではもう決定していることみたいな印象だったけど、どうなんですか?」
「決まってないと思うよ、タタさんに打診はしているらしいけど」
マキさんはあからさまに淋しそうな顔をすると、
「三奈月さんは知っているんですか?」と訊きました。
「たぶん、知らないと思う」高原さんはちょっとだけ考えてから云います。
「タタさんが云ってなければね」
「タタさんは了解しているんでしょうか?」
「どうかな。まだ、そんなに深い話になっていないと思うけど」
有川くんおもむろにポケットから、PalmIII を取り出します。もう一度安堂くんからのメールを見ます。
「タタさんいなくなっちゃたら、大変だな・・」
そう云ったときに、有川くんは前に座っている二人に緊張が走っているのに気付きました。どうしたんですか? と訊こうとした瞬間、
「なんの話ですか」
三奈月さんです。いつの間にか彼の背後に来ていた様。
「いや、あの、タタさんどうてるのかなって」高原さんが慌てて云います。
「昼食、ちゃんと、とったんですかね」マキさんも合わせます・・
「そうそう、あの人(ひょろ)っとしてて、けっこう食べるからさ・・」有川くんは脈絡のないことを云いました。
午後のコーヒーを淹れるために、三奈月さんは給湯室にいます。
じつは、(タタさんがいなくなる) という言葉は、しっかりと彼女に聞こえていたのでした。コーヒーのサーバに水が溜ります。それらを洗って水を入れて、またメーカーにセットしないといけないのですが、溜って、溢れていく水をじっと見つめます。
なんとなく噂で知ったことなのですけど、どうやら、現実的な問題らしいです。皆さんの前ではなるべく普通にふるまっているつもりの三奈月さんですが、ひとりになると、ついそのことを考えてしまいます。
「やっぱり聞こえてた?」高原さんが入り口に立っていました。三奈月さん、うなずきます。有川のアホが・・、高原さんそう云いかけますが。
「いえ、もっと前から知っていました。同期の子に聞いたんですけど」
今まで、そんな素振りをまったく見せなかった三奈月さんに、高原さん思わず胸がしめつけらます。
「週末、会ってたんでしょ、タタさんはなにか云ってた?」
三奈月さんは首を振ります。
高原さんは知っていること、聞いたことのすべてを彼女に伝えて、そして云いました。
「彼がどう思っているのか聞いてみるのがいいよ」
彼女は、またうなずきました。そして云います。
「なんか莫迦みたいですよね、私。そんな噂だけで、おろおろしちゃって」そうして、すごく切なげな顔をします。高原さんはそんな彼女の腕に、自分の腕を絡めると「大丈夫」
「あんたを置いて、アメリカに行くなんて云ったら、あたしがぶん殴ってやるんだから」
やっと会議から解放されたのは、夜9時ちかくになってからでした。脱力して戻ってくると、むろんのこと人はまばらです。タタさん「そりゃあ、そうですね」と珍らしく、ひとり愚痴をこぼしながら自分の机に向います。そこで、まだ机に向っている高原さんに声をかけます。
「遅いですね。忙しいんですか」
「遅いのはタタさんだよ、まったく」そう云うと彼のデスクの方を指さします。見ると、彼のディスプレイにメモが貼ってありました。
それを見て。どたばたと仕度をすると、タタさんは慌ててオフィスを駆け出して行きます。
「イングルサイド」で待っています。
三奈月
(イングルサイド) というのはふたりの最近の行きつけのお店のようです。
メモは残しっぱなしでした。タタさんやはり相当急いで出ていったみたいです。その証拠に Pilot が cradle に乗せっぱなしで、忘れられています。
高原さん、メモをディスプレイから剥すと、くしゃ と丸めました。
「まったく、かわいいふたりだよ」そう云うと、席に戻って、またキーを叩きはじめました。
◇ ◇ ◆
註
*1: Web サイトの情報を、ダウンロードして Pilot Doc のフォーマットに変換、HotSync 転送の準備までしてくれる、Windows ソフトウェアです。日々の Palm 情報の巡回にとても重宝します。CHEEBOW こと、関根さん作成。
*2: ついにリリースされた、PalmV です。時を同じくして日本語版 WorkPad もリリースされ、「Palm 使い」を悩ましい気持ちにさせています。
*3: おなじみ、Doc アプリケーション。さらなる、進化を続けている MeDoc です。日本語 WorkPad にも対応されたそうです。


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