1998年11月アーカイブ

休暇
連載37(Ver1.0)

◆ ◇ ◇

「あの・・安堂さん、」
「ん?」
「なんか、掛かっているみたいなんですけど・・」
 振り向くと、マキさんのロッドがしなっています。慌てて安堂くんは体の向きを変えて、マキさんの方へ近づこうとします。
「莫迦野郎、早く巻け!緩めるなよ」
「そんなこと云ったって、」必死に踏んばっているのですけど、巻くよりも出て行っているラインの方が多い様です。なかなか、姿を現わしません。
「もう少し、懲らえれば疲れてくるから」安堂くんは手を貸すこともしないで、そう云います
 マキさん、がんばってロッドを握ります。その時、魚がはねました。大きな音がします。
「おお、でかいなぁ」
 しばらく格闘して、やっとボート上に引き上げました。
「初バスにしちゃ、上出来だよ。30 そこそこかな」
「これって、大きな方なんですか」手にしてみますが、片手では持てません。
「普通サイズかな。湖にしては大きい方」
「ええ、これで中くらいですかぁ」「そう」
 じっくりと眺めてから、水の中へとリリースします。云われた通り、湖面に投げ込むようなことはしないで、ボートのへりからゆっくりと魚を沈めます。ちょっとぐったりとしていた彼(彼女)も「水を得た」状態になって、ゆるゆると泳ぎ始めます。マキさんは、それに手を振って見送りました。
 そして、体制を戻そうとした時、ボートがまた、大きく揺れました。
 一瞬、血の気が引くのを感じましたが、すぐに体ごと引っぱられます。安堂くんがすぐに反応してくれたのでした。ふたりして、ボートの揺れがおさまるのを待ちます。
「なぁにやってるんだよ、気をつけろよ」そう云うと彼女の体から手を離して、自分のポジションへと戻って行きます。
「あ、ありがとうございます」マキさん、動悸がおさまってから、そう云いました。
「あそこ、楽しそうだなぁ」
 少し離れたボートの上で、有川くんが呟きます。一緒に乗っている誠司さんがそれに応えます。
「楽しくならないのは、お前が下手だからだ。これで、ボウズはお前だけだぞ」
「だってさぁ、釣れないんだもん」
「集中しろよ」
「してますって、今日、もう何回投げたと思います?」そう云って、また、ロッドを振ります。水面に大きな音がして、ルアーが飛び込みました。
「そもそも、どうして、食べもしない魚を釣らなくちゃならないんですかっ。そこがまず、納得が行かない」
 バス釣りを始めたころの言動とはずいぶん違います。誠司さんそう思いますが、何も云いはしませんでした。
 遠くにタタさんと三奈月さんのボートが見えます。ふたりともボートの内側を向いていますから、タタさんがなにかレクチャーしているみたいです。
 その先頭には又八郎さんがちょこんと座って、水面を覗いています。
 有川くんもちらりとそちらを見ました。
「猫って、泳げるんですかね。」
「・・・・」
「犬かき、ってありますけど。猫かきって無いですもんね」
「黙ってろ」

 さて・・ クラッカー事件から数日が経過しました。
 実際のところ、それ自体はすぐに解決したのですけど、マシンなどの機材やソフトウェアを前の鞘に収めることに、数日を費やすことになりました。一応のため、それらのソフトなどの環境は全てを DAT に入れ、今はタタさんの机の引き出しの奥に在ります。
 それぞれの人が通常の生活に戻った頃にも、タタさんはあちこちへと奔走していたらしいのです。あんまり睡眠も取っていない風に見える彼を皆なが心配していました。そして、事件から一週間の後のことです。
「申し訳ないが、みんな、来週は休んでくれ」
 鶴川さんからの、お達しがありました。(もうしわけない)けど休んで欲しい、というのも変な話ですが、みなさんそれぞれのスケジュールで、仕事に関わっているわけですから、いきなり休めと云われても困ってしまいます。鶴川さんとしては、今回のことで費した時間はそれぞれで、休暇なりをとって、精算して貰おうと思っていのですが、上の人たちら、「是非にも」彼らに休暇をやってくれ、というさらなるお達しがあった様です。
「迷惑な話だよ、まったく・・」高原さんのぼやきは、みんなのぼやきでした。
 それでも、タタさんの提案でみんな揃って旅行へ行こうということになり、なんとか各自でプロジェクトとの折り合いをつけることにしたのでした。
 湖畔の民宿に着いたのは昨日の夕方です。メンバーは、タタさん、高原さん、有川くん、三奈月さん、マキさん。そして、安堂くんと、半ば強引に会社をフケてきた誠司さん。あんど、又八郎さんです。

 今日で、到着してから3日目です。明日はもう東京に帰ることになっています。当然、今夜も宴会です。旅に来ているのですから。しかも、会社の経費で殆どが落ちることになる、と聞いていますから(大名旅行)なのです。
 3日目にも関わらず、異様な盛り上がりを見せ、(それは、マキさんの目眩く様なカラオケだったり、その人柄に似合わない、安堂くんの隠し芸だったりしたのですが) 日を跨いだ数時間後におひらきとなりました。その場で、毎度の如く寝入ってしまった有川くんを自室の布団の中に放り込んで、各々の布団へ潜り込みました。
 人の歩く気配を感じて目を開くとタタさんが、部屋を出て行くのが見えました。どうしたのでしょうか、時計を見ると3時を回っています。安堂くんは身を起そうとしました、しかし、すぐに後を追って出て行く誠司さんに気付いて、また、布団に丸くなります。部屋の中には、有川くんの微かな寝息だけが残ります。

「眠れないの?」
 いつの間にか、誠司さんが隣にいました。
「いえ・・」
 彼は、煙草を取り出すと、火を灯します。そこだけ、ぼんやりと光を発っしました。
「一本、もらえますか」目の前に煙草の箱がさし出されます。ひとつ抜きだすと、口に咥えてみました。誠司さんがライターを近づけてくれます。吸い込んだ途端に、セキこんでしまいます。
「吸ったことあるの?」「・・ないです」
 タタさん、ちょっと情無さそうに眉間に皺を寄せます。思わず、吹き出してしまう誠司さんです。
 その彼は美味しそうに、煙を吐き出しました。
「あの結着のつけ方に、疑問が残っているのは分かるけど」
「いえ、間違ったことをしたとは思っていません。ですけど、なんていうか、(澱)の様なものがこの辺りに残ってしまっているんです」そう云って、胸の辺りを押えます。
「それは俺だって、あるさ。でも・・」
「わかってます。わかっているけど、そういうのってあるじゃないですか。だから、ちょっと時間を置きたいだけなんです」そう云うと、もう一度だけ、煙を吸い込んでみます。
 幸い、「その辺りを知っているのは、俺とタタさんだけなんだし・・ おれはタタさんのしたこと、間違っていないと思う」
「・・うん、ありがとう」そう云うと、久しぶりにタタさんは心から微笑みました。

「結局、三奈月さんは何匹釣れたの?」
「3匹かな」
「すごーい」結果、一匹だけだったマキさんは云います。
「でも、タタさんの云う通りにしたら、釣れただけだから実力じゃないの」でもいいなぁ、とマキさんは云います。
 最終日、連日の宴会にも依らず、朝早く起き、湖面へボートを漕ぎ出した彼らは、多くはありませんが、数匹のバスを引っかけると、お昼過ぎにはもう帰りの途についたのでした。ボート上でひと悶着、そして、帰りがけにひと悶着あったのですが。(いずれも有川くん絡みです)
 この車は、マキさんがハンドルを取っています。ペーパードライバーを自認している三奈月さんから見ると彼女のステアリング捌きはまるで神技の様です。外の景色はもうすっかり秋でした。それに見惚れていた三奈月さんにマキさんは云います。
「タタさん、相当疲れているみたいですね」
「うん、私たちの見えないところで、ずいぶん苦労してたみたい。でも、大丈夫だと思う」
「そう?」
 三奈月さん、頷きます。
「その、理由の無い確信に嫉妬しちゃうなぁ・・」
 ルームミラーに、又八郎さんを膝に乗せた、タタさんの気持ち良さそうな寝顔が写ります。

◇ ◇ ◆

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