1998年5月アーカイブ

おとこ3人・・
連載18 (Ver1.0)

◆ ◇ ◇

「やっぱり、思うのですけど」
(ヒュンッ)
「Pilot に、それ程、大きなメモリは要らないと思うのです」
(カリカリ)
「そう?」
(シュッ)
(ポシャ)
「有れば、あるだけ使うぞ」
(シュンッ)
「SuperPilot の II XL *1 は、8M でしたっけ?」
(バシャッ)
「最近は、やたら、メモリ喰うアプリとか増えましたもんね」と有川くん。
「確かに、初期の頃とは違ってきていますけど。PalmIII が標準で 2M ですから、そういう流れになってしまうのは仕方がないでしょう」タタさんが答えます。
「結局さ、ハードディスクと同じで、あれば有るだけ消費してしまうものだって」誠司さんも云います。
 そうかなぁ、有川くん、いまいち納得行かないようです。続けて、ロッド(竿)を振ります。立ち木の向うへ、ルアーが落ちます。(ポシャ) その近くを掠めるようにして、リールを巻いていきます。(カリカリカリ)
「そんなこと云って、そろそろ、欲しいころじゃないの?」誠司さんは彼に向ってそう云います。もちろん、体は湖面を向いているのですが。誠司さんというのは、これまでにも幾度か顔を出した、高原さんの旦那さんです。
「時間の問題でしょう」タタさんも、当然という感じで云い放ちます。
「そんなことないですよぅ」と、答えますが、自信は少し無さそうです。
 今日、会社は休みです。誠司さんともスケジュールが合ったので、久しぶりに3人、遊びに来ています。ダム湖で、バス狙いです。3人乗りのボートを借りて、漕ぎだしました。しばらく、投げているのですが、まだ、誰も釣ってはいません。
 それなりに手数は投げているのですが、どうも旗色が悪い様子です。このメンバーでは、自然 コンピュータや、Pilot の話題が多くなります。有川くんは、早くも集中力が切れてきました。
「ASAPP *2 を結構やり込んだんですよ」そう云って、巻ききったロッドをボートの中に置くと、おもむろに PalmIII を取りだしました。
「おまえ、ここに持ってきたのか?」
「非常識ですねぇ」
「大丈夫ですよ」
 自慢げに出したそれは、ビニールのパックに入っています。
「Aqua Pack *3 があるから、落としても安心です」
「いや、そういうことを云ってるんじゃなくてね・・」

 昼前から、夕方近くまでロッドを振っていたのですが、結局その日は誰にも、釣果はありませんでした。
「まあ、こういう日もあるさ」誠司さんが云います。
「有川くん途中から、全然やってなかったじゃないですか」
「まあ、そういう日もあります」よく分かりませんが、そういうことらしいです。
 旅館の部屋に戻って一休みしました。まだ、明日一日ありますから、そちらにかけることにします。夕食前に温泉に入るというのが、定番ですが。
「その前に・・」
 誠司さん、バックから、ノートパソコンを取りだしました。
「そうですね、メールは見ておかないと、」タタさんも、Pilot と、Pilot Modem を取りだします。有川くんも然り。
 しかし・・
「ああっ」電話を見ると、モジュラーではありません。
「今時、珍しいですね」「タタさん携帯は?」
「あれは会社のものですから、プライベートには持ち歩いていないです」
 ふたりして、誠司さんの方を見るのですが、「ケーブルを忘れた・・」という返事が返ってきてしまいました。仕方なく、旅館の外にあった『グレ電』を変るがわる使ってなんとか通信しました。
(電話が使えないのですか?)と、旅館の人に訊かれる始末です。
「変な、お客さんでしょうねぇ」タタさんがしみじみと云います。

 特に問題のあるメールは無かったようで、3人揃って温泉ということになります。
「誠司さんのノートって、IrDAポート付いているのですか?」露天の岩風呂に浸りながら、有川くんが訊きました。
「ついてるよ」
「IrSync *4 って試してみました?」
「だから、おれのは、PalmIII じゃないだろ」
 そうか Upgrade しないと・・有川くん、どうもそのアプリが気になっている様子です。
「今日は、不思議なほどダメでしたね」タタさん気持ちよさそうに、夜空を見上げながらそう云います。あまり、残念そうには見えません。
「明日は早くから、出るんですよね」
 誠司さん、当然、というように頷きます。「明ける前に出るからね。そんなに飲んじゃ駄目だよ」
 それを知って有川くん、非難の声を上げますが。軽く一蹴されてしまいます。
「それじゃ、美味しく夕食をいただいて、早目に寝ることにしましょう」タタさんが云います。先輩ふたりにそう云われてしまっては、云い返すこともできません。
「それから、有川。PalmIII を持っていくのは禁止」
「どうしてですかぁ」
 折角、アクアパック買ったのに、と云います。どうも、このために新調したもののようです。ぶつぶつ云っている有川くん、顔の半分あたりまで、お湯の中に沈めてしまいます。ぶくぶくと泡が起っています。
 空をずっと見ていたタタさん、思わず、呟きました。
「いい月ですね」
 ふたりも、つい、夜空を見上げます。

◇ ◇ ◆


*1: TRG 販売のメモリ増設用パッケージです。
*2: しゃあみんさん作成、プログラミング型対戦ゲーム。
*3: Pilot が濡れないようにする、ビニール製の入れものです。IKE Shop 販売元。
*4: IS/Complete,Inc 作成。赤外線通信で、HotSync を可能にするアプリケーションです。

大切なこと
連載17 (Ver1.0)

◆ ◇ ◇

 朝、体の上に圧迫感を感じて目が覚めました。
「すみませんけど、降りてください」
 上に乗っかっている、又八郎さんに声をかけます。又八郎さん仕方なさ気に、布団の外まで降ります。タタさん、布団から抜け出てシャワー室へ向かいます。
 シャワーを浴びると、冷蔵庫から牛乳を出して、コップに注ぎます。そして、それを一気にあおりました。
 又八郎さんの、器にキャットフードをあけて、自分の朝食を作り始めます。とりあえず、朝はご飯を食べないことには始まらないタタさんです。
 炊きあがっていたご飯を確認して、お味噌汁を作ります。
 又八郎さんが、朝食を始めるのを横目に、朝食を食べます。今日のお味噌汁の出来は、70点くらいです。
 仕度を終えると、玄関へと向います。後ろに、又八郎さんがついて来ます。ふたりして、ドアを出ました。並んで、途中まで一緒に歩きます。
「じゃあ、行ってきます」
 途中で、彼と別れました。又八郎さん、いつものコースに向って歩いていきました。タタさん、最寄りの駅へと足を進めます。

 オフィスに着いたのは、彼が最初でした。なので、キーロックを解除します。中に入ると、電気を点けます。今日は、ドキュメントの作成が少し切羽詰っていたので、早目に出社したのでした。前夜のお酒が抜けてなかったのかというとその通りで、こればかりは仕方がありません。
「あれ、タタさん早いですねぇ」
 少しだけ経ってから、高原さんが出社しました。
「三奈月ちゃん、ちゃんと帰れたの?」
「ええ、家まで送りましたから」
 へえ、と云う高原さん、微妙なニュアンスが含まれているようです。しかし、その三奈月さんはまだ来ていません。通常なら出社していてもおかしくない時間なのですが。
 コーヒーを入れるために席を立ちました。豆を挽いて、セットします。辺りに良い香りが、ひろがりました。そうしている間にも、彼女が現れる気配はありません。できあがった、コーヒーを自分のカップにだけ注ぎます。
 問題のドキュメントを作成にかかります。タタさんがいつも使っている「winery」で、動作している Web サーバから参照できるように、HTML で作成します。実際の作業は、mule と skk *1 です。ドキュメントとはいえ、あくまで「中身」が重要と思っているタタさんは、最小限の(タグ)だけ使用してそれを仕上げていきます。
 そうしているうちに、気がつくと 10時を回っていました。有川くんが入ってきます。
「おはようございます」
 それに応えました。
「あれ、三奈月さん、おでかけなんだ」そう云います。
 しかし、予定表を見るとそれは無いはずです。タタさん、どうも心配になってきました。昨夜、別れたときは、彼女、意識ははっきりしているように見えましたから。
(宿酔いかなぁ)と考えるのが妥当ではあります。昨日の彼女はどうやら、いつもと違っていました。なにかあったのでしょうか。
 そんなことを考えていると、どうも文章の進みが悪いのです。

 新プロジェクトの客先と打合せの「ネゴ」を取るために、受話機を取ります。すこし、状況を説明して、日時を決めました。すでに、要求から仕様を固める段階に入っていますから、高原さんにも出席してもらうことになっています。彼女のところに云って日時を問うと、大丈夫とのことでした。そこで、会議についてちょっと打ち合わせます。
「彼女、遅いねぇ」
 話が終ると、彼女が云います。そうですね、と答えます。
「三奈月さん、昨日、ちょっと変に見えましたけど、なにかあったのですか?」
 そう訊くと、高原さん、「ふう」とため息を吐きます。その仕草の意味が分からずに、もう一度尋ねると、
「タタさんさぁ」
「はい?」
「『周りのこととか、人のこととかは、よく判るのに。自分に関してはすごく、鈍感だ』なんて、云われたこと無い?」
「・・どうしてそんなこと」知っているんですか、と云います。
 高原さん、ふたつ目のそれをして、(もうしらない)とばかりに、自分の端末へと向いました。仕方なく、タタさん自分の席に戻ります。先程の問いと、彼女の云ったこととはどうしても結びつきません。
 続きを書き始めます。
 が、どうも集中力が切れてきたので、Pilot を手にします。ML でも話題の HiraPa *2 の最新バージョンをインストールして、試してみました。入力フィールドが大きくなっていて、手の大きなタタさんでも、楽になったような気がします。
「やっぱり、すごいなぁ」と、有川くんに話そうと、椅子を立とうとしたところへ・・
「おはようございます」
 三奈月さんが、申し訳なさそうな顔をして傍らに立っていました。

 前日のこと。
 『新入社員親睦会』は、結局、10:30 とすこし早目にお開きになりました。マキさんたちは、挨拶をして駅の方へ向って行ってしまいました。ふと見ると、座りこんでいる高原さんがいます。
「どうしたんです?」と訊くと、隣に同じくうずくまっている、三奈月さんが目に入りました。
「珍しいですね、こんなに飲むなんて」タタさん、そう云います。
「タタさん、責任持って送って行ってよね」そう云われ、彼女の傘を渡されます。帰宅が方向的に一緒ですので、当然かと、三奈月さんを支えて歩き始めました。高原さんとは、駅で別れました。
 電車を待っている間に、一度、彼女が話かけてきました。
「ここ、どこですか?」
「駅ですよ、帰るところです」
 もちろん、立って待っているわけですから、彼女は完全にタタさんに凭れかかっています。彼の胸のあたりに顔を押しつけたままで、云います。
「タタさん、けっこう力ありますね」
「そうですか」
「私、そんなに軽いほうじゃないから・・」
 三奈月さん、たしかに女性としては背が高いほうです。しかし、彼と並ぶとそれも感じません。電車がホームに入ってきました。
 タタさん、すいている席を探してふたりして腰を下します。そうしたら、三奈月さん、安心してしまったのか、すぐに、彼の肩の上に頭を凭れて静かな寝息をたて始めました。
 電車が動き出しました。タタさんは、肩に感じる彼女を重みに、不思議な心地良さを思いました。目の前を夜の風景が流れていきます。

◇ ◇ ◆


*1: UNIX 上で使われる、定番のエディタと、その上で動く「日本語入力メソッド」です。skk に関しては、win95 版の IME が待たれるところ。
*2: 奥地さん作成の、手書きのひらがな認識入力を可能にする Pilot ソフトウェア。

三奈月さんの憂鬱
連載16 (Ver1.1)

◆ ◇ ◇

 その日は朝から雨でした。
 三奈月さん、会社へ向う電車の中で、ひとつ、ため息をつきます。エレベータ事件から数日が経ちます。あの時、一体、自分はエレベータのドアの前でどんな表情をしていたのだろうか。
 なにより思うのは、ふたりが心配ということよりも、二人きりで密室に居るということに対して嫉妬しているということの方が大きくなって。そんな自分がとても、嫌になっていたのでした。
(すごく、自分のことが醜く思える)
 このところ考えるのはその時のことばかりです。社に着くまでにいくつため息をついたのか知れません。なんとなく、自分を隠すように、傘を目の前に翳して歩いていきます。
 オフィスに入って、まず、挨拶をしました。近くにいた人たちが返してくれるのに答えながら、自分の机に向う途中で、
「三奈月さん、今晩のこと、覚えてる?」有川くんに云われました。
「歓迎会でしたっけ、新人さんの」
「と、いうより、親睦会だね。歓迎会はまた、ちゃんと決まってからやろうよ」
 高原さんの提案で、新人さんたちを交えてちょっとした会を開こうということになっていたのでした。とりあえず、三奈月さんたちのグループの人たちは全員揃いそうです。
 彼女と会話しているのに、有川くん、手元の PalmIII を見たままです。
「一体なにをしているんです?」
 三奈月さん、荷物を置いて彼のそばまで戻って来ました。それを覗き込むと。
「ああ、ICON Editor *1 ですね」とすぐに分かりました。リリースされたときに、見せられたことがあります。三奈月さんも愛用している、DateBK3 のアイコンを作成できるツールです。
「ビールのアイコンを作っているんだけど、うまくいかないねぇ」飲み会用のアイコンを作成しているのでしょうか。
「有川さんビール派ですもんね。でも、『ビール』って、ROBIN さんのところ *2 にありませんでしたっけ」
 そうなの? と有川くん。ふたりして、Web を見てみると、やはりありました。楽しそうなアイコンがいっぱいあります。ちょっと、そこで彼と話をしてしまいました。

 夜、予定通り、主催が高原さんで、酒席が設けらました。これまではあまり、新人の男の子たちと接したことがなかったのですが、以外に多いことが分かります。
 当然ながら、顔見知りの女の子たちも居ます。三奈月さんも年が近いこともあって、すぐにうち解けて話せるようになりました。
「弟さんて、恰好いいんですか?」なぜかそんな話になりました。
「うーん、ずっと見てる顔だからわかんないや」そう答えます。話ながらも、実のところ、気持ちはそちらに向いてはいません。
 少し遠くの方に座ることになってしまった、タタさんが気になります。隣にはちゃっかりとマキさんが居ます。一体なにを喋っているのかはわかりませんが、とても楽しそうに見えます。いろいろなことを考えているうちに、そこはお開きになりました。
 そして、2次会に向うことになったのですが、人数は半分程に減ってしまった様子。
 時々、グループで来ている居酒屋に入りました。ここでも、マキさんがタタさんの隣をキープしています。お酒の勢いもあって、三奈月さん、なんとかタタさんの正面に座ることに成功します。
 しかし、マキさんは話しがとても上手で、結局、彼女の話を聞くことになってしまい、タタさんも楽しげにそれに耳を傾けています。
「三奈月ちゃん、ちょっと、飲みすぎてない」
 少しして、高原さんが彼女にそう云いました。
「そんなことは無いです。足りません!頼みましょう」と云います。いつもと違った口調にちょっと、引き気味の高原さんです。その通りに別のお酒を頼みます。そして、三奈月さん、いつしか、有川くんと高原さんにお酌をさせて呑んでいます。ふたりとも、ほとんど、云われるままに彼女のコップに注いでしまいます。いつもとは違う彼女に驚いています。
 幾度か、席を立とうとした三奈月さんですが、目の前で楽しそうに話しているタタさんとマキさんが、実際、気になって仕方がないのです。
「もう、止めなさいね」高原さんが云います。少し、強い口調でした。彼女の顔を見てなにか云おうとしたのですけど。なにも云えなくなってしまいました。それで、結局、彼女の肩に頭を乗せて「すみません」と云います。
「三奈月さんっていつもこうなんですか?」新人の子が訊きました。
「いや、こんなになったのは、初めてだけど」有川くんの声の様です。三奈月さん、いつしか、テーブルの上に突っ伏していました。
「まあったく」かわいいんだから、と云って高原さんが、彼女の肩に上着を着せてくれました。三奈月さんの記憶はそこで途絶えます。その時には、マキさんの声が耳に入ってこなくなっていました。

 次の朝、起きると前夜のお酒が確実に、体の中に残っているのを感じました。洗面台で顔を洗って鏡を見ます。
「ひどい顔」思わず、三奈月さんは呟きます。お化粧もちゃんと落として寝なかった様子です。
「おはよう」
 キッチンへ行って挨拶をします。家族は応えてくれますが、どことなく、よそよそしいのです。窓の外は、今日は晴れているようです。そこで思いだしました。
「私、傘忘れてなかった?」昨日、会社へさしていったのは、お気に入りのものでした。
「かさぁ?」なぜか、皆さんユニゾンで返します。
「あんた、それよりさ」母親が云います。昨日どうやって帰ってきたのかを訊かれました。少し考えてみますが・・
「あれ、普通に帰ってきたでしょう?」実際、覚えはないのですが。飲み会でたまに記憶が飛ぶことはこれまでも、ありましたので。なんとかして、戻ってきたのだろうと思っていたのですが。そう云えば、ここまで見事に、記憶が欠落しているのも珍しいです。
 訊くと、どうやら、会社の人が家まで送ってくれたそうです。
「誰?」三奈月さん恐るおそる、そう云います。
「ほら、あの、すごく背の高い人。優しそうな顔の」
 それを聞いた瞬間、体中の血が引いていくのを感じました。どうやら、タタさんに家まで送ってもらったようです。でも、その記憶はまったくありません。
「どうしよう・・」
 ただ、途方に暮れるばかりです。(今日は、会社休もうか・・)なんて、いけない感情が頭をもたげてきました。

◇ ◇ ◆


*1: 福本修仁 さん作成の、DateBK3 用アイコンデータの編集ツールです。正式版がリリースされました。
*2: DateBK3 のデータがたくさんある、ROBIN さんのページ「銀河鉄道 P.A.L.M.」

彼女が Pilotter に至った理由(わけ) その2
連載15 (Ver1.0)

◆ ◇ ◇


 「彼」はその日、独りアキハバラを歩いていました。このところ、御無沙汰だったので、変わってしまった風景が、目につきます。
 ほとんど、いままでと変わり映えしないコースをひととおり回って、路上で一服しているところへ・・ 背中を叩かれました。
 振り向くと、よく知った顔が目に入ります。
「岡崎か」
「久しぶり」マキさん、彼を見上げて云います。
「ひとり?」「そう」
 二人で、近くの喫茶店に入りました。このあたりでは、有名なコーヒーのお店です。椅子に座ってすぐに彼は煙草を取りだします。
「アキバにひとりで来ることなんてあるんだ」
 と云うと、彼女は首を振ります。どうやら、初めて独りでここまで来たらしいです。なにを買いに来たのかと訊くと、袋の中から、J-OS2.0 *1 と、wrap2 *2 が出てきました。ちょっと以外な顔をします。
「ほら」と、マキさんのポケットから、Pilot が出てきました。
「全然、使ってないと思っていたでしょう」そう云います。彼は思わず、顔をしかめました。
「そんなことはないけど。ひとりで、Pilot の買物に来るほどになるとは思わなかった」
「まあ、私もそう思っていたんだけど」
 聞いてみれば、就職した先には Pilotter が何人か居てその人たちの影響の様です。

 半年前くらいでしょうか、彼はマキさんにその Pilot を譲りました。そこに至るまでのプロセスは様々あったのですけど。彼にはすでに特定の人がいて、マキさんは彼とその人の間には入れなかったのです。
 表面的にはそういうことになったのですが、実際、彼自身の中ではいろんな葛藤がありました。結局、最後に会ったときに、Pilot を渡したのでした。
「もう要らなくなったから」と。それを受けとった時、彼女はどういうことなのか理解できませんでしたが、あとで、その中を見たときにそのわけがなんとなく知れました。とりあえず、彼に大事に思われていたことは伝わったのです。
 煙を吐きながら、彼が出したものは PalmIII でした。マキさん、苦笑します。
「なに?やっぱり、必要だったんじゃないの?」
「いや、少しの間は、他の PDA を使っていたんだけどね」
 結局は、Pilot マシンに落ち付いてしまったそうです。やっぱり、必要なもの(だけ)載っているってのがいいよね。と彼は云います。
「私の周りだけでも、4人のひとが持っているよ。Pilotを」彼女がちょっと自慢げに云います。
「へえ、」一つの部署に、4人というのは多いような気もしますが、何と云っても米国でトップのシェアを誇る PDA ですから、大手の企業の中では珍しいことではないのかもしれません。
 彼もマキさんと同じく、今年、ソフトウェア関係の会社に就職しています。いまだ、研修中の彼女とは違い、すでに、実際の開発に携わっているそうです。
「そうだ、ほら」と云って、マキさんに名刺を渡します。マキさんはまだ、所属する部署がはっきりしていないので、名刺はありません。
「でも、mail のアドレスはもらっているから」彼の Pilot を貸してくれ、と云います。彼女の名前はまだそこに残っていました。Desktop のデータをそのまま残して使っていたからでしょう。mail アドレスを入力しているマキさんを、彼は不思議そうに眺めます。
「Graffiti が書けるんだね」
「莫迦にしてる」
「ちがうって、感心してんだよ」本当にそう思ったのです。

 しばらく、近況を話していたのですが。それも尽きてしまいました。すこし、会話に間が空きます。
「元気なの?」
「ああ」
 マキさん、彼の彼女のことを訊きました。
 彼女というのは、マキさんもよく知っている女性です。それを聞くと、消えかけていた、抜けないトゲが、ちくりと、胸のあたりを刺します。
「そう、良かった」それを隠すように云います。
 彼はもう一度、ああ、と答えました。気詰りな時間が過ぎて行きます。
「いけない!」マキさん、時計を見てそう云うと立ち上がりました。少しワザとらしくも見えた様ですが。
 テーブルの上に置いていた Pilot を取りあげます。未だに、彼からの最後のメッセージが入っているそれを、ポケットにしまいました。
「じゃあ、また。mail するからね。飲みに行こうよ」そう云うと、コーヒー代をそこに置いて出口へ向います。
 彼は、新しい煙草を取りだして。ライターを点けます。紫煙が彼女の居たあたりを満たします。ドアの閉る音の余韻を感じました。
(いい人は、いた?)
 という問いに嬉しそうに答えた彼女を思い出し、ちょっと煙が目に染みたのです。
 彼女が去っていたあとを見つめて、甘酸っぱい思いをゆっくりと飲み下しました。

◇ ◇ ◆


*1: 最新版の、2.01 バージョンは、PalmIII に対応されています。
*2: Pilot のための定番カバーケースです。彼女が買ったのは、IKESHOP ブランドのものです。

彼女が Pilotter に至った理由(わけ) その1
連載14 (Ver1.0)

◆ ◇ ◇


「ああ、だめだぁ」
 思わず大声が出てしまったようです。美由さん、そちらを見ます。先輩がディスプレイの前で、バンザイをしています。
「どうしたんですか?」と訊くと、彼女は手招きします。その前に行ってみると、Macintosh の立ち上げ画面に、『?』の入ったフロッピーディスクが表示されています。
「システムが見つからないのですね」美由さん、云います。
「どうすればいいの?」
「緊急のフロッピーとか持っています?」
 と云ってみますが、なんのことやら分からないようです。とはいうものの、彼女も緊急用の対策はしていませんし、OS の CD-ROM も持ってはいません。たぶん、どこかにはあるはずなのですが。
 少し考えてみましたが、結局は受話機を手に取りました。内線番号をプッシュします。すぐに答えがありました。しかし、どうも高原さんのようです。
「有川さんは、いらっしゃいますか?」
「どうしたの?」ちょっと、席を離れていただけみたいです。彼にかわりました。
「MAC がちょっと、故障してしまったみたいなのですけど、診てもらえますか?」
「なに、すました声、出してんだよ」
 と云う言葉につい、眉間に皺の寄ってしまう美由さんでした。周りを見回したあとで、押し殺した声で「ちょっと来て、って云ってんの、復旧用のソフト持ってきて!」
 有川くん、すぐにフロッピーなどを持って階に降りてきてくれました。心なし、いつもの彼より、フォーマルなイメージです。問題のマシンの前に来て対処してくれます。CD-ROM から立ち上げて、復旧ソフトを走らせてみると、問題無く立ち上がるようになりました。本来ならば、その時点で、再インストールするべきなのですが、すぐに使いたいということなので、(まあ、大丈夫)だろうということになります。
 廊下に出たところで・・
「まともな恰好してきたみたいね」美由さんが云います。
「ほら、ちゃんと、髭も剃ってきたよ」あたりまえだ、という顔の彼女の顔を有川くん見返します。
 でも、眠たいらしいのです。
「ASAPP *1 っていうゲームが最近リリースされてさぁ」
 聞いてみると、プログラミングをして敵と対戦させるゲームらしく、いかにも彼が好きそうなジャンルです。
「寝不足なんだ」
「もう・・」
 今夜のことの確認だけをして、そこで別れました。

 傾向として、技術の部門では断然 Windows マシンが多いのですが、事務系の処理には、Macintosh がまだ多く使われています。美由さんは、自分の目の前にある、MAC のディスプレイと睨めっこをしています。ネットワーク上のデータを整理しているのですが、どうも簡単にはいかないようです。あとで、有川くんに助言を戴くことにしましょう。
 時計はすでに終業を過ぎていたので、MAC を落として、制服も脱ぐことにします。着替えて戻ってくると、美由さんの机のところに同じ部署の男性が立っていました。
「どうしたんですか」声をかけます。
「これは、買ったの?」
 彼女の机の上の Cradle に乗っている Pilot を見て云います。
「いえ、貰いものですけど」
「ふうん」
 ちょっと、不思議そうに彼女を見ます。
 この方には前に、食事に誘われたことがあります。どうも、そういう気持ちがあったらしいのですけど、美由さんはそれに答えることはできませんでした。
「有川くん?」「はい」
 そう答えると納得したように、自分の席へと戻っていってしまいました。 Sync ボタンを押すと、データのシンクが始まります。それを待ってから、まだ、残っている人たちに挨拶をして、オフィスを出ました。

 ImageView *2 データを、Spec *3 で確認します。地図をなんとか理解しようとします。今夜は、ふたりの行きつけのお店が移転して最初の開店日です。美由さんは途中で、花束を購入しました。有川くんは、とてもそんなことに気が向く人ではありませんので。
 彼とは、お店でおちあうことになっています。もう出かけていることでしょう。Pilot で地図を何度も見て、やっと辿りつくことができました。ちょっと分かり難い場所です。
 店内はそれでも、常連さんでいっぱいのようです。彼女の好きな曲が流れているのに気付きます。カウンターでマスターに花を渡しました。
「ありがとう、これからも、よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
 マスターの指差す先に、有川くんのものらしい、PalmIII と PHS を見付けます。美由さん、その隣の席に座って、Pilot を取り出すとそれらと並べて置きます。彼の頼んだものらしいカクテルグラスに残っていたものを、口にしてみました。
 店に充ちているピアノの旋律に、しばし、身をゆだねます。それは、彼女の体に心地良くまとわりつき、体の中へと入って来ます。しばらく、そうしていたのですが、マスターの目の合図を見て、美由さん立ち上がりました。
 咥え煙草でピアノを奏でている、奏者にそっと近づきます。グランドピアノの上に乗っていた灰皿を手にすると、彼の煙草を取りあげて、そこに灰を落とします。
「ナイスタイミング」
 有川くん、にっこりとして、そう云います。もちろん、小さな声なのですが。
 美由さんはその煙草を彼の口に返すと、そのまま、ピアノの上に肘をつけます。それは彼女にのみ許される仕草だったのでしょう。いつも、キーボードを打っているのとは、違い、彼の『鍵盤』の上を流れる指先は、とても滑らかで情熱的に見えます。

◇ ◇ ◆


*1: しゃぁみんさん作成の対戦ゲームです。現在は Beta版です。
*2: Pilot の標準グラフィックデータフォーマット。
*3: Strout.Net 作成のImageView データ閲覧ソフト。フリーウェアです。

闇の対決
連載13 (Ver1.0)

◆ ◇ ◇

 その朝、タタさんはいつも通りに出勤してきました。社の入り口を過ぎて、エレベータホールへ向います。そのとき、
「おはようございます」
 振り返るとマキさんが歩いてきます。タタさんも挨拶をして、ふたりでエレベータに乗りこみました。異変はそのすぐあとに、起ります。
 目的の階まで達したところで、突然、エレベータ内の電灯が消えました。
「あれ、どうしたんでしょうか」タタさん、普段の口調でマキさんに問いかけます。
「止まってしまったみたいですね」マキさんも暗闇の中にもかかわらず、落ちついたものです。ついてないですね、タタさん呟きます。
 とりあえず、中のインタホンを使ってビルの管理人と話をしました。早急に対処してくれるが、復旧がいつになるかは分からない、とのことです。待つしかありません。
「よくあるのですか、こういうトラブルって?」マキさん訊ねます。
「いえ、聞いたことないですけど。とにかく、危険は無いってことでしたので、のんびりと待ちましょう」
 そう云うと携帯電話を取りだし、ボタンをプッシュします。すぐに、鶴川さんに繋がりました。状況を説明して、心配ないことを伝えます。
「研修中の岡崎さんが、一緒ですので、少し遅れると伝えていただけますか」そう云って切りました。
「使いますか?」携帯を渡そうとします、「いえ、まだ全然、番号とか分からないですから」そう云います。鶴川さんがきちんと伝えてくれるので問題はないでしょう。
 タタさん、Pilot を取りだすと、ライターを点けます。その炎で、スケジュールをチェックします。この時間、特に予定は入っていないです。ひと安心しました。また、暗闇に戻ります。今度は Modem を取りだして、Pilot に装着したようです。手探りで接続をしている音がします。マキさんにライターを持ってもらって、メールのチェックだけをしました。
「タタさん、煙草喫われるのですか?」
「いえ、今日はたまたまです。それより、大丈夫ですか」
「はい、全然、恐いとかはないです」
 でも、手を握っていてもらうことにします。タタさんの大きな手の平を感じました。

 楽な姿勢を取ろうと、ふたりして、ドアの反対側の壁を背にしました。
「研修はどういう感じですか?」と訊きます。
「そうですね、一般研修はめちゃくちゃつまらなくて、よく寝ていたりしたのですけど。技術のことになったら、楽しくなりました」
「分かりますか?内容は」
「そうですね、講師の人によっては(分かっている前提)で話されるので、全く理解できないときもありました。でも、タタさんのお話はすごく、分かりやすかったです」
 しばらく、そういった話をしていたのですが、なにぶん、まだ知り合って間もないのですから、つい静かになってしまいます。
 マキさんは、先程のライターに照らされた、タタさんの顔が残像となって残っています。つい、思い出してしまって、握っている手が汗ばんできているのが心配になりました。
「Pilot で暇をつぶしたいところですけど、私のはバックライトはありませんから」
 と云うタタさんの言葉に、「あっ」とマキさんがなにか閃いたようです。タタさんの手の中から、するりと彼女の手が抜けました。そして、PalmPilot のバックライトが灯ります。
「タタさん、チェスできます?」
 そう云うマキさんの Pilot に映し出されたのは、かの PocketChess *1 です。
「ええ、できますよ。やりますか」でも、電池無くなってしまいません?と云います。
「いいんです。そんなこと」暗闇の中でチェスが行なわれることになりました。
 バックライトの灯りで、じゃんけんが交されます。マキさんの先手、白で、勝負が開始されました。
「暗くなると嫌ですから、電源のリミットの3分で打たないと負けにしましょう」ということになります。
 タタさん、受けとりながら、「いいですよ」と云います。打ってまた、返します。序盤、非常にオーソドックスな流れになりました。勝負が進んでいって、駒落ちしてくるようになる時には、すでに二人とも絨毯の床に座りこんでしまっていました。
「岡崎さん、もしかして、すごく強くないですか」
「そうですか?」
 どうも、タタさんが形勢不利の様子です。実際のところ、彼はゲームでマシンを相手にしていることが多かったので、実践向きではないのかもしれません。思わず考えこんでいるうちに・・
「!」バックライトが消えてしまいました。
「すみません。一回負けですね」
「いえ、3回まで、いいことにしましょうか」と、マキさん余裕の笑みです。

 その頃、すぐその外では。
「大丈夫でしょうか?ふたりとも」三奈月さんが心配そうに、エレベータのドアを見つめています。
「酸素は無くなりませんよね」有川くんが云います。
「大丈夫でしょう。そんな、宇宙ステーションでも、地下施設でもないんだし」と、これは高原さん。
 結局、すでに昼休みに入ってしまっています。
「心配はないよ。扉が開かなくなっただけみたいだから」と云いながらも、鶴川さんも居ます。そのうちに、マキさんの同期の女の子たちも集まってきました。「まだ、開かないんですかぁ」と高原さんに訊きます。
 気が付くと、あまり関係ない人たちまでそこに集まってきてしまいました。
「タタさん、閉じこめられちゃったんだって?」
「研修中の女の子と一緒ぉ?」
 いいなぁ、なんて不謹慎なことを云う人もいたようです。

(チーン)
 そのとき、エレベータ到着の時に鳴る音がホールに響きました。みんなの視線がドアに集中します。
 開きました。
 そこには、あぐらをかいて座りこんでいるタタさんと、その前にちょこんと向い合って座っている、マキさんがいました。一同、なぜか声が出せずにふたりを見つめます。
 マキさんは、閉りそうになったドアを開けるためにすぐ立ち上がってボタンを押します。そして、まだ、Pilot を凝視しているタタさんに声をかけました。
 そこで、やっと、タタさん、首を動かし天井を見上げて光を確認したようです。そして、ドアの外に集まっている、みなさんの存在を見ました。
「やあ、みなさん。おそろいで・・」

◇ ◇ ◆


*1: Pilot の初期の頃から在る Chess ゲームです。Pilot との対戦も可能です。Scott Ludwig さん作成。

Profile

ウェブページ


today: / yesterday:

twitter / kuraku

    Wassr

    最近のブックマーク