1998年3月アーカイブ

人間失格?!
連載6 (Ver1.0)

◆ ◇ ◇

「春ですねぇ」

 タタさんが窓の外を見て云いました。確かに今日は春の日和と云ってもよい晴天です。

「でも、夜はまだ寒いですよ。コートはまだ必要です」三奈月さんが箸をとめて云います。

「桜もまだみたいですしね」と有川くん。トンカツを刻みながら答えます。

「そうか、そろそろ花見のシーズンだね。今年も幹事はタタさん?」

「まあ、いつもの通りですから私がやりましょうか」タタさん、高原さんに云います。

 昼食時のいつもの風景です。大抵、みんなで社食に来ます。あまり代わり映えしないメニューなのですが、たまに旬のものが出るときもあります。

「この菜の花のおひたしは、菜の花の味がしませんね。冷凍物みたいにそっけないです」タタさんにしては、辛口な意見です。

 話題が Pilot に移りました。

高原さん「PalmIII へのアップグレード *1 って、いつになるの?」

タタさん「5月という発表じゃなかったですか」

有川くん「結局、6月になったらしいですよ」

高原さん「ふうん、じゃあ、それまでお預けなのね」

有川くん「タタさん、それまで待って、一気に5000からのステップアップを狙いますか?」

タタさん「どうしましょうか。いま、PalmPilot へのアップグレードというのも、勿体ない気がしますよね」

三奈月さん「いまなら、安く買えるんじゃないんですか?」

有川くん「どうかなぁ、本体はずいぶん安くなったんだけどね」

高原さん「まあ、そのせいで、ウチのが買っちゃったんだけどさ」

タタさん「cradle ってそのまま使えるんですか」

有川くん「らしいですね。でも、今の Pilot を新しい cradle には置けないみたいですけど。あのボタンが下に付いたのは正解ですよね。たまに cradle 自体が向こうの方に動いちゃうもん」

タタさん「それは、机の上にホコリがたまっているんじゃないです?」

有川くん「・・」

三奈月さん「有川さんは買わないのですか?」

有川くん「え、PalmIII 本体を?」

三奈月さん「はい」

高原さん「買うんでしょ?」

有川くん「買いませんよう。そんな無駄遣い。これから買うにしたって、いま値下がりしているものを買って、アップグレードを待つのが正しいんです。PalmPilot ユーザで、PalmIII まで買っちゃう人ってどういうヒトなんでしょうね」

 見積もりが甘かったということはなかったのですが、有川くんのプロジェクトは少し忙しくなりました。この週はずっと終電までがんばっています。もともと、夜型の生活をしている彼ですから、20時を回った辺りから、がぜん能率が上がるのも確かです。

「じゃあ、お先に、」タタさんが帰ってしまって、オフィスには彼独りとなりました。帰りがけにタタさんが置いていってくれた、カップのコーヒーを啜りながら一息つきます。懸命にやった甲斐あって、なんとかゴールが見えてきました。今日はこれくらいで終わりましょうか。

 禁煙時間はとっくに過ぎていたので、そこで一服点けました。

 昼食時の会話を思い出して、Palm Computing のページを Web ブラウザで開きました。

「やっぱり、いいなぁ」ひとりごとを云います。

 いつも見ている Pilot の新着情報のページや、「PILOTの好きな人専用掲示板」 *2、Pilot ML *3 などから、PalmIII の情報を拾い読みします。ここの会社で買うのがいま一番安い、というURL を見つけだしました。早速、飛んでみます。

 先行予約受付をしているサイトは幾つかあります。その中でも、特に安いと云われている販売サイトです。値段を見てみると、なるほど、送料込みでも $400 に達しません。

 有川くん、その PalmIII ページの英語をニュアンスで読み取ります。4月の中頃には、手元に届くようです。

 なんとなく、オーダーのボタンを押してみます。最初のページが開きました3ステップ でオーダーが完了するらしいです。名前、住所など、パーソナルなデータ入力のフォームがあります。

「ぽん、ぽんっと」

 変な合いの手を入れながら、有川くん自分の名前を入力し始めます。

「って、入れてみたりして」

 そして、次の ステップ へのボタンを押します。そこでは、支払いの入力をするようです。すると、有川くん cradle に座っている Pilot を手に取りました。Secrets *4 から、暗号化されている自分のクレジット番号を Decrypt して開きます。

 ・・どうも、怪しい行動になってきていますが。

 フォームにクレジット番号を入力していきます。灰皿の中の、火を点けた煙草は、勝手に灰になって消えてしまいました。

「よし、」

 ステップ3 です。ここで最後の確認がされるものだと、彼は思っていました。進んでみると、画像が落ちてます。おかしいと思って、ブラウザの「Reload」を指定しました。「フォームをもう一度送信しますか?」の問いに OK ボタンを押します。

 すると、

(このデータは既に送信されていますので、再度送ることは出来ません。オーダーは完了しています。)

 という旨を伝えるページが開きました。

「ははは、やってしまった・・」

 と云う有川くんですが、困ったという感じではありません。どちらかというと嬉しそう。

「まあ、事故なんだし、しょうがないよね」

 断りのメールを送ればいいという気がしますが、そんな様子はありません。

 時計を見るともう終電の時間になっています。帰り支度をしてマシンを落としました。灰皿とカップを片付け、Pilot をスーツの内ポケットへしまいます。

 そこで、ふと、自分をかえりみて、

「おれって、だめな人間かも・・」

 ぼそっと、つぶやくのでした。

◇ ◇ ◆

-- 註
*1: Pilot 1000/5000、PalmPilot を、PalmIII にするためのパッケージです。
*2: 菊池さんの Pilot を使う人のための掲示板です。
*3: 日本の Pilot メーリングリスト。Web での参照もできます。
*4: 大切なデータを暗号化して保存します。Encrypt、Decrypt をパスワード入力で行います。
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それぞれの休日
連載5 (Ver1.0)

◆ ◇ ◇

 いつになく真剣な表情の有川くん。手に持ったそれをじっと見つめ、机上の Pilot に近付けていきます。Pilot は外のケースが外されていて、液晶がむき出しになっています。手に持っているのは保護フィルタです。彼は、Pilot 用に販売されているものではなくて、他の PDA 用に作られたもの *1 をぴったりの大きさに切って使っています。ペンの走りが違いますし、なにより値段が安いのです。

 Pilot 自身のカバーを取る必要があるのかと思われますが、そのままだとどうもうまく作業できないと考えているようです。

 きれいに貼れたので、カバーを取り付けることにします。携帯電話用のストラップをいつも装着しているのですがうまく入ってくれません。何度やっても、ここは慣れないようです。15分ほど格闘してやっとネジがしめられました。思わず、ため息をつきます。見直してみますが、問題なくきっちりはまっているみたいです。

 しかし、電源を入れてみて凍りつきます。スイッチが入ってくれません。でも、こういうのはよくあることです。慌てずにソフトリセットしてみます。が、どうもだめみたいです、「PalmPilot」の文字が繰り返しフラッシングしているだけです。

 休日の朝から、Pilot の再構築作業をする羽目になった有川くん、ちょっとブルーです。ばらす前に、Recycle *2 で、Deflag していたのでなおさら・・

 三奈月仁くんは、Web で見つけた、Froggy *3 に夢中になっています。車をかわし、虫たちをうまく渡りそれぞれの位置へカエルを収められればクリアです。単純なゲームですがつい熱くなってしまいます。

 ハイスコアが出るぞ!というときに、いきなり画面がフリーズしたように固まりました。

「わっ」

(約束、新宿。)というダイアログが画面いっぱいに現れます。どうやら持ち主のリマインダーが働いただけのようです。大声で姉を呼びました。

「なんだよ、デート?」

「違うわよ」三奈月さん、Pilot を取り上げます。途中なのに、という彼に「欲しいなら自分で買いなさい」と云って部屋に戻ります。

 友達との買い物の約束を忘れていたわけではありませんが、少し朝をのんびり過ごしてしまったみたいです。何を着ていくかはすでに決めてあったので、髪形とお化粧に時間をかけることができました。支度ができると、Pilot のスケジューラでもう一度待ち合わせの場所を確認します。

 階下におりると、コーヒーの香りが漂ってきました。時計を見ます、まだ時間までには少し余裕がありそうです。

「座って飲みなさい」という母親の云うことも聞かないで、ブラックのままコーヒーを飲みます。テーブルの上にあったクッキーにも手を伸ばし2つ失敬します。

「行ってきます」クッキーを頬張ったまま云い、玄関へ向かいました。

「これ忘れてるよ、」振り返ると、仁くんが Pilot を持っています。キッチンのテーブルに置き忘れてしまったようです。最近では三奈月さんも Pilot 無しでは生活できなくなってしまいましたので、慌てて戻って受け取りました。

 気をつけてね、という二人に手を振って再度玄関へ向かいます。Pilot をコートのポケットに入れるときに、ふと、タタさんのことを想いました。

「おはよう」

 声に振り向くと、旦那さんがパジャマ姿のまま立っています。高原さん、今週末も溜まっていた洗濯物の始末から取り掛かっています。今日明日と良い天気のようなのでベランダへ全部干すことにします。あと少しで終わりです。

「手伝おうか」と云うのへ「いいから、早く着替えてきたら」と返します。

 その時、どこからか電子音が響きました。旦那さん、パジャマ姿なのになぜかポケットから Pilot を取り出します。高原さん少しげんなり。ディスプレイを見ていた彼が「電話しなきゃ」とつぶやいて、居間の方へ向かいます。今日も出勤すると云ってましたので、高原さんちょっと残念です。

 中へ入ってしまう前に、

「昼はまだだろう?」と旦那さんが云いました。うなずくと、じゃあ何か作る、と云い残して行ってしまいました。それを見送ると高原さん気を取り直したようににっこりして、早く目の前を片付けてしまおうと再度手を動かし始めます。

 猫の又八郎さんは、グラスの中にまだ半ばまで残っている白ワインを、舌を長く伸ばして味わっています。満足げにのどを鳴らしているところを見ると、どうやら味をしめているよう。それは、ワイングラスを倒さずに上手に味わっているところか

らも分かります。

 タタさん、まだ昼下がりだというのにアルコールを嗜んでいるようです。しかし、実際のところ、3分の1ほどは飼い猫に飲まれてしまっているのですが。ソファに埋もれるようにして、いねむりをしています。再読中の「鬼平犯科帳」*4 が開いたままで胸元に乗っています。眼鏡も取らないで、でも、とても幸せそうな顔のまま静かに眠りに落ちているようです。

 底まで舐め尽くしてしまった又八郎さん、小さく一声鳴くと、タタさんの隣のソファへ下り立ちすぐに丸くなりました。そのせいで、彼の体の下に半分ほど隠れてしまった Pilot。それもまた、彼らと同じように心地よい眠りに落ちているように見えます。

◇ ◇ ◆

-- 註
*1: 彼は、Zaurus用のものを愛用しているそうです。
*2: メモリのフラグメンテーションを解消するためのツールです。
*3: アクションゲームです。
*4: ついに最終シリーズが4月から始まります。
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160x160ドットのマジック
連載4 (Ver1.1)

◆ ◇ ◇

 昼下がり、タタさんと高原さんは、客先で打ち合わせをした後、食事がてら喫茶店でくつろいでいます。タタさんは打ち合わせ中に、Doodle *1 にメモした内容をMemoPad に書き写しています。そんなタタさんを高原さん、食後の紅茶を口につけつつじっと見ています。
「男の人ってコンピュータを触っているとき、どうして、そんなに楽しそうなんだろう」
「そうですか?」
 手を止めて訊きます。高原さんは頷きました。何か思うところがあるようです。
「タタさんは新しい Pilot を買わないの?」
「PalmIII *2 ですか?よく知ってますね」
「2M RAMで、IrDA 搭載。マルチフォント、シンクロナイズ機能・・」
 タタさんの知らないことまで彼女の方が知っているようです。有川くんに刷り込まれたのでしょうか。唖然としている彼を放っておいて、高原さん紅茶のおかわりを頼みます。
「私も買ってやろうかしら、」
 (誰それに買ってやろう) というニュアンスではありません。「やらかしてやろう」という云い方です。Pilot に対して恨みでもあるように聞こえますが。
「モデムは持ってないの?」
 ちょっと、険のある顔つきになったまま彼女が云います。
「うん、ぼくのは古いやつだから。ROM をupgradeしないと使えないんです」
 ふうん、答えますが余り気が入っていません。有川くんはモデムを使ってメールをやり取りしたり、Web のページをブラウズしているようです。そういえば、前に Wingman *3 という Web browser で、某新聞社のマスコットが表示されるのを見せてくれました。グレイスケールでちゃんと画像が表示されていて、感心したのを覚えています。
「ふうん」同じリアクションです。
 彼女の旦那さんと Pilot と曰くあったのでしょう。タタさんは予想します。旦那さんは彼らと同期入社の人です。今はこの社を出て、別のソフトウェア会社に勤めています。彼のキャラクターを思い起こし、何となくですが納得してしまいました。
「彼が、買ったの、Pilot」
 戻る電車の中で、高原さんが云いました。半ば予想していたタタさんですが、これまでの話の流れで何と答えていいのか分かりません。
「面白くないですか?」
「そういうわけじゃないけど」
 確かに新型の発表で値下がりしていますから、今ならそれほど高い買い物ではないはずです。そう考えれば、旦那さんが勝手に買い物をしたという怒りより、「Pilot に嫉妬している」ように見えます。仲のいい彼らのこと、実際そうなのでしょう。
 彼女からキツい言葉をもらったという、有川くんを思い起こします。

 社に戻ると机の上にメモが残っています。そろそろ戻ってくると、三奈月さんがコーヒーを淹れておいてくれたようです。タタさん、自分のカップを持ってコーヒーメーカーのところへ行きます。メモの通りにできあがったものが一人分残ってます。それをカップへ注いで、自分の机へ持ってきました。
 HotSync をしてデータを PC へ送っておいて、それを元に議事録を作ります。時々、カップを口にしながら。書き終わり、出席者全員に mail で送信しました。
 メールをチェックすると、進行中のプロジェクトの仕様書が Draft バージョンで届いていました。後でゆっくり読もうと、MakeDocW *4 で Doc *5 フォーマットにコンバートして Pilot に転送します。
 Web で業界のニュースを一通り見ておいて、本日の実作業に取り掛かります。タタさんの机には、PC-UNIX マシンと、アクティブに使う Windows マシンの2台があります。仕事上、UNIX マシン上でサーバを構築するというのが主でしたが、最近は PC-UNIX をサーバに据えるシステムも増えてきています。彼が管理しているその PC-Solaris マシン「winery」は部内で共有されているサーバマシンです。Windows 歴よりも UNIX 歴のほうが断然長いタタさんは、winery の Window システムで作業することが多いです。
 三奈月さんが打ち合わせから戻ってきました、キーを打ちながら彼女にコーヒーのお礼を云います。三奈月さん、にっこりと笑います。

「タタさん、ちょっと」
 鶴川さんがお呼びです。プロジェクトの進行状況と、今日の打ち合わせの詳細を訊かれました。現在はさしせまったこともなく、のんびりしたものです。少し問題あるとすれば、タタさん自身の作業がちょっと遅れ気味というところです。最近、同時進行しているプロジェクトの打ち合わせが多いためでしょう。
 話が一段落したところで、鶴川さんはディスプレイへ向かい直り、タタさんも机へ戻ります。有川くんが真剣にキーを打っています。横を通りすぎようとしたときに目に付いたものがありました。
 cradle に乗っているPilot に、きちんとささっていない StylusPen が突き出てます。手を伸ばしてそれを持ってみました。
「いいでしょう、チタンですよ」
「前は、シルバーだったよね」
「ええ、」有川くん Pilot の液晶にそのペンを走らせます。そして、満足げな顔をします。
「いいかんじですよ」「へえ」
 ちなみに、タタさんは黒に赤芯のスタイラスを気に入って使っています。しかし、それもずいぶん疲れてきている様子。
 ちょっと、有川くんと Pilot のアクセサリの話をしていたのです。突然、彼が思いだしたように Pilot を操作し始めました。
「ほらほら、こんなのもあるんですよ」
 こちらに見えるように、液晶を向けてくれます。そこには、ガイジンさんのヌードが画面いっぱいに現れました。官能的なポーズをとっているその女性の上をスタイラスでスクロールさせます。ImageView *6 のデータのようです。
 タタさん、あきれ顔でひとつため息をついて上目づかいに訊きました。
「楽しい?」
「・・うん、ちょっとだけ」
 
◇ ◇ ◆

-- 註
*1: ペイントツールです。文字をメモするときに重宝します。Roger E. Critchlow Jr. さん作成
*2: 期待の新型 Pilot です。
*3: WebBrowser です。特殊な proxy を通すことにより画像の表示が可能です。
*4: テキストを Doc フォーマットにコンバートするためのツールです。細かな設定ができます。Mark Pierce さん作成。
*5: Pilot の標準テキストフォーマットです。AportisDocなどのリーダで参照します。
*6: 画像をグレイスケールで表示します。Windows 用の convertor、previewer があります。
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三奈月さんの思惑
連載3 (Ver1.0)

◆ ◇ ◇

「最近、三奈月さんが冷たいんです」

 有川くんが声をひそめて云いました。

「心当たりは?」

 タタさんもつられて声が低くなります。問いに対して首を振る彼。

「私には全然、そんなことないですよ。普段通りです」

「じゃあ、やっぱりおれだけなんですね」首をかしげて考えてみますが、やはり心当たりは無いのです。ちらりと一番奥の席の三奈月さんを盗み見ます。といっても、彼女の姿はディスプレイの向こうで、頭の上の部分しか見えません。

 ここ数日の彼の行動を思い起こしてみますが分かりません。嫌われているだけだろうか… 有川くん、少し悲しい結論に達してしまったようです。

 三奈月さんは、そんな会話がされているとはつゆ知らず、ディスプレイに向かっています。机の上には Windows マシンがひとつ。なぜかムンクの人がそのディスプレイの横で叫んでいます。注意して観察すれば、彼女の DOS/V 機のシリアルポートに接続されているケーブルは、奇妙なルートをたどって机の引出しの中へと入っていってます。

 メールが届きました。同期会を女の子たちだけでやろうというお誘いのようです。しかし、最後に「どこでもいいから、場所を探しておいてね (^_^)」

 フェイスマークでごまかされてはいけません。幹事を押し付けられてしまったようです。三奈月さんは「もう」と一声漏らしましたが、こういうことは決して嫌いなほうではありません。周辺をぐるりと見回してから、机の引出しを開けました。

 そこにあったのは、HotSync ケーブルにつながった Pilot です。タタさんも有川くんも知ってはいませんが、彼女も Pilot を持っていたようです。どうして、彼らに秘密にしておく必要があるのでしょうか。

 三奈月さん、Pilot を引き出しから取りだし、もう一度周りを見てから電源スイッチを押します。起動したのは TealMeal *1 です。これで、同期会のお店を探します。(どこでもいいから) という言葉に、「いいところ見つけてね」というニュアンスを感じます。ルーレットを回してみたりして、いくつかの候補をあげてみんなにメールを書きました。ついでに、Datebk3 *2 で自分のスケジュールをチェックします。そこで、週末に入っていた友達との約束を思い出しました。

「三奈月さん」

 声をかけられました。慌てて、Pilot を引きだしに入れて閉めます。タタさんが目の前にいます。来週のレビューのスケジュールのことで話があったようです。彼はすぐに自分の席に戻っていきましたが、変に思われなかったでしょうか。三奈月さんは心配になってしまいます。

 そもそも、タタさんと共通の話題を、と思って購入した Pilot です。秘密にしていたらなんにもなりません。しかし、云いだすきっかけがつかめないまま、今に至ってます。有川くんとタタさんの Pilot 談義に入っていきたくて仕方がないのですが、一度機会を逸してしまうとどうにもならなくなってしまいます。最初の思いがあっただけに、動機を悟られてしまうのではという懸念もあるようです。

 そんな思いを胸に、ひとつため息をついてから仕事に戻りました。

 三奈月さんはそのつもりはまったく無かったのですが、先日、タタさんとの会話に割り込まれたのが、潜在的に心に残っていました。それが有川くんに対する態度として表に出てしまったようです。彼女もそれと気づいていないのですから、有川くんに理由が分かるわけもありません。

 それでもなんとか、関係を修復しようと食事に誘ってみることにしました。タタさんは付きあってくれると云ってくれましたが、高原さんと部長の鶴川さんは別口があると、すでに出かけてしまったあとです。結局、三人で行こうということになりました。

 あまり面には出ていませんが、帰る準備をしながら三奈月さんは、つい顔が緩んでしまうのを抑えられません。彼女の Pilot には、日本酒・ワインのデータベースが JFile *3 のデータとして収まっています。これを活用するためにも、自分が、Pilotter であることを打ち明けなければなりません。お酒の席になればそれもできるような気がします。

 帰り支度ができたタタさんと、もたついている有川くんを待ちます。普段からそういうことが多い有川くんです。いつもならば、一言云ってやりたくなる三奈月さんですが、今は彼が天使のように見えます。彼がコートを羽織ったところで、手に持っていた Pilot が鳴りました。

「・・・」

 Pilot の液晶を見つめて、彼が固まりました。

 先日、すっぽかしかけた彼女との食事の埋め合わせを、今夜にセッティングしていたのです。「すみません」とぺこぺこしながら、あたふたとオフィスを出ていく彼が、三奈月さんには悪魔に見えました。

 しかし、

「どうしよう、二人で行きますか」

「え?」

 今度は彼女がしばし、カタマリます。

「いえ、私帰りますから」そう云い残して、先にオフィスを出てきてしまいました。

 しばらく後まで、このことを後悔することになります。その怒りは潜在的に、また、有川くんに向けられることになります。

 家に着きました。自分の部屋へ入ると、今日二回目になる同じ種類のため息をつきます。荷物が届いていました、外国からです。落ち込んだ気持ちのまま、梱包を解きます。注文していた「DirectSync」*4 です。状況を何とか変えようとして、深みにはまっているようにも見えます。

 彼女が打ち明けられるのはいつのことでしょうか。でも、それほど遠い日のことではないでしょう。

◇ ◇ ◆

-- 註
*1: 食べ物屋さんのデータベースを作成できます。ランダムにお店を選び出すルーレットがついています。
*2: 高機能なスケジューラです。日、週、週/二週一覧、月ごとの表示が可能です。
*3: データベースソフトです。csv データのコンバートで情報をインストールできます。
*4: TealPoint製。Pilot 同士でデータのやり取りをするキットです。
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「わたしとPilotとどっちが大事なの」
連載2 (Ver1.0)

◆ ◇ ◇

 Pilot 依存症と呼ばれる有川くんは、朝起きるときも Pilotのアラームを使います。枕元の Pilot をつかむと仰向けのまま OK ボタンをツメ先で押しました。布団をはねのけると、ほとんど無意識といった呈でディスプレイの前に座ります。

 広いとは云えない部屋の中、ディスプレイは3つあります。当然それぞれに CPU が繋がっています。モデムが2つ、HUBがあり、基盤やカード類が机の下に転がっている様子。

 クライアントマシンにしている Mac が立ち上がるまでの間、最初の一服を点けます。部屋の中に煙が一渡りしたところで、ブラウザを起動します。煙草を吸ったことで少し頭が冴えてきたようです。

 PilotGear H.Q. *1、Pilot/PalmPilot FAN *2、Palm Pilotのページ *3、などいつもの散歩コースを回ります。最近のお気に入りは 「■パイロット航空■ *4 」です。使えそうで面白そうなものが目に付くと、ダウンロードします。

 一通り回ってみてやっと接続を切ります。時間に限りがあるところがサラリーマンのつらいところ。落としたアプリケーションをインストール設定して、Sync ボタンを押します。シンクを始めたのを確認して、シャワーに向かいます。

 どうやら、のんびりしてしまったようでいつものペースより遅れてしまってます。いい加減眠気の抜けた有川くん、あたふたとスーツを着込みます。部屋を出るときは取りあえず電車に間に合う時間でした。

「いってらっしゃい」

 キオスクのおばさんに送られて電車のホームに向かいます。単4電池のストックが残り少なくなってきたのでここで調達したのでした。

 電車を待っている間に、PilotModem と PHS を接続してメールを読み込みます。朝のあの時に読めばいいものを、と思うところですが、これが彼の日課なのです。電車の中でドアに背中をもたれながら、メールをチェックします。今使っているのは、POPJ *5 と、純正のMailリーダーです。この場で返事が書けそうなものは、書いてしまいます。Pilot を手に入れるまでは、ノートパソコンでこれをしていたので、周りの目が少し気になったのですが、Pilotでは何の気兼ねもありません。

 そうこうしているうちに降車駅に近づいてきました。普段だとこの辺りで今日のスケジュールをチェックするのですが、今朝は早朝にインストールしたアプリケーションを立ち上げていました。

「うおっ!」周りの目も気にせず有川くんは叫んでしまいました。

 新作のアプリケーションは見事にハングアップを起こしたようです。仕方なく裏の電池のフタを開け、クリップを取り出します。近くにいたご老人が不思議な顔をして彼の行動を見ています。

 (ぐう)、声も出ません。何度やってみても、再起動してくれません。どうやら本格的にイってしまった様子です。泣く泣く HardWare Reset します。初期のタッピングが物悲しいです。どうしようもなく、スーツの内ポケットにそれをしまいました。

 ちょっと暗い気持ちののまま、会社に着きました。会社で使っているのは Mac マシンです。Mac でシステムの再構築をする場合は、有川くんでも一時間近く掛かってしまうはずです。

 cradle に Pilot をセットして、環境を入れ直そうとしていたら。

「有川さん、打ち合わせですよ」

「へっ?」

 三奈月さんが後ろに立っています。

「忘れてたんですか?」

「いや、その、Pilot が飛んじゃってさぁ」cradleに鎮座しているそれを指して云いますが、帰ってきたのは冷たい言葉です。

「またですかぁ」

 タタさんに「飛ばし屋」と呼ばれる所以です。

 仕方なく空っぽの Pilot を持って打ち合わせに向かいました。Graffiti に関しては相当な修練をしている彼、会議の議事録も Pilot で付けます。思いの外、打ち合わせが延びてしまい、その後の作業のボリュームも結構あったので、Pilot を前の状態までに戻せたのは結局夜のこととなってしまいました。

 そろそろ、終業という時にタタさんを捕まえて、新作のPalmIII に関しての情報を晒していたところ、有川くん宛てに電話です。

 Pilot の復活のタイミングが少しばかり遅かったようです。電話は彼と同期の事務の女の子。今夜、夕食を一緒にするはずだったのでした。青くなりながらもしっかりと Pilot を Syncしてから、外へと駆け出しました。

「がんばってね」というタタさんの言葉も聞こえたのかどうか。そして、彼女にきつい一言をもらうことになります。

◇ ◇ ◆

-- 註
*1: アプリケーションの新作リリース情報はまずここから。
*2: 廣瀬昌明さんのニュースページです。最新情報がいち早く紹介されます。
*3: 同じく林 哲司さんのニュースページ。ここも外せません。
*4: 伊藤さんのページ。独特の雰囲気を醸し出しています。SCOOP! は秀逸です。
*5: 村上 正幸さん作成のメールクライアントです。
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田中さんの日常
連載1 (Ver1.0)

◆ ◇ ◇

 田中太郎さんはその日妙なポーズをとっていました、満員電車の中で。
「タタさん、」近くで声が聞こえました。とは云うもののそれがどこからのものなのか分かりません。ただでさえ周りからの圧迫で体の中心線が妙な曲線を描いているはずです。
「タタさんてばぁ」
 背中をつつかれました。人たちの中から頭が2つ分ほど高い彼です。灯台下暗しのごとく。後ろいるのが、同僚の高原さんであることは分かりますが顔を合わせることはできません。どうにもならないようです、タタさんはスーツの内ポケットに入っている Pilot *1 が気になって仕方がありません。最近噂の HardCaver ケースはこういうときに役立つのでしょう。
 電車から掃き出されるように降りたところでやっと高原さんと顔を合わせることができました。朝の挨拶をして歩き出します。
「旦那さんは元気です?」
「元気元気。そうそう、彼 またノート買うんだって」
 彼女の旦那さんというのはもともとタタさんの会社の同期社員同士でした。今は別の会社へ勤めています。ノートというのは言葉とおりの意味ではなく、ノート型パソコンのことを指しているようです。
 とそのとき、くぐもったチャイム音が聞こえてきました。歩きながら Pilot を取り出すと、「あ、いけない」タタさんは朝からの会議を忘れていました。高原さんに断りを云うと、彼は急ぎ足になります。

 会議が終わってやっと自分のデスクに落ち着いたタタさんは、会議中に書き留めたデータの入っている Pilot を cradle に置いて syncボタンを押しました。今日最初のメールチェックをして、Webで業界のニュースを読んでいると、
「田中さん、コーヒー入ってますよ」
 傍らで三奈月さんがコーヒーサーバを持って立っています。
「ああ、ありがとう」そう云って、コーヒーカップを差し出して注いでもらいます。三奈月さんは同じ部に入ってきて2年目、タタさんの後輩です。いまだに、彼のことを「たなか」さんと呼ぶ数少ない人です。そこのところをちょっと寂しく思っている彼ですが、J-OS のユーザ辞書 *2 に彼女の名前がしっかりと登録してあるところを見るとちょっと特別な思いがあるのかもしれません。
 ミルクだけを入れてカップに口を付けます。ふと見ると、三奈月さんがディスプレイの横にある Pilot にじっと見入っているようです。
「Pilot、知っている?」
「ええまあ、有川さんがいつも騒いでるやつですよね」有川くんのいないデスクを見て云います。
「今なら、彼の方が詳しいでしょうね。楽しいよ、三奈月さんも使ってみたら」
「はあ、あの…」
 そこで、当の本人が戻ってきました。
「タタさん、いるじゃないですかどこに行ってたんです?」
「打ち合わせって、ボードにあったでしょう」
「そうだっけ」そう云うと、自分のデスクのイスを持ってきて、タタさんの隣にどっかと座り込みます。居心地が悪くなったのか三奈月さんは自分のデスクに戻っていってしまいました。
 有川くんはおもむろにポケットから Pilot を取り出します。彼ものは、縦にぐるりと覆う形のカバー *3 を使っています。液晶にも保護用のフィルタがきれいに貼ってあるようです。
「これすごいんですよ」そう云うと、液晶をタタさんにも見えるようにこちらに向けます。覗きこむと、出発駅、到着駅というシンプルな画面があります。有川くんが会社の近くの駅ともう一方を慣れた手付きで入力します。ローマ字で入力しておいて、フィールド右のボタンを押すと候補の駅名が出てきました。
「ここで、GO!っと」検索ボタンを押すと、結果が現れました。目的の駅までの経路が表示されます。「おお」タタさん、思わず声が出ます。接続駅や待ち時間、予想されるトータルの時間も分かるようです。
「TRAIN *4 って云うアプリです。もともと、他のモバイル環境で使われるデータを Pilot 用に使えるようにしたものです」
 まるで、自分で作ったものであるように自慢顔な彼を見ると、タタさんは思わず苦笑してしまいます。

 ここは大手電気メーカーの技術部門の一つです。タタさんが所属するのは、外向けに受注を行っています。その点、他の部門とはちょっと違います。既に属して 6年目の彼は技術的な面だけでなく、プロジェクトリーダーとして人をまとめる立場にいます。とは云うものの人数的には決して多い部門ではないので、プロジェクトごとに人の組み合わせ、人の数も大きく変わります。最近では、営業さんと一緒にお客様を回ることが多くなりました。
 終業近くになって、Pilot から、明日は直行して客先で打ち合わせがあることが報せられました。目的の場所は駅からすぐにあるようです。ただその駅の名前は聞いたことが無いものです。そこで、今日、有川くんから見せられた TRAIN が役に立つのではと、思い至りました。
 彼が当分帰る気配がないのを見て取ると、声をかけました。
「コンバート済みのデータが残ってますから、あげますよ」とのことです。
「140kちょいくらいですよ」共有のファイルサーバに転送を行おうとしている有川くんが云いました。
 固まるタタさん。
「そんなに要るの?メモリが」
「それはそうです、東京近郊の路線情報がほとんど入っているデータですから」
 実は彼の Pilot は、最初の頃の Pilot5000 です。初期のまま使っていますので、メモリは「500k」しかありません。改造して2M化してある有川くんとは、随分な違いです。とりあえずお礼だけいって、有川くんに作業を中断してもらいました。
 ハンガーからコートを取り、帰る支度をしながら、RightNow! *5 で帰りの電車の時刻をチェックすると社を出ました。駅へ向かいながら、そろそろ真面目にアップグレードしようかと考えるタタさんでした。

◇ ◇ ◆


*1: Pilot ってなに?という方はとりあえずこちらをご覧ください。3Comホームページ
*2: J-OS とは、云わずと知れた、山田達司さんが作られた Pilot 日本語環境です。
*3: おそらく、Wrap2 でしょう。
*4: 今関弘明さん作成アプリケーションです。通過駅の全てを表示することもできます。
*5: 田村博さん作成の時刻表アプリケーションです。

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